まことの弱法師(14)

執筆者:徳岡孝夫2017年5月27日

 ニューヨークは魅力に富んだ町だが、私にはシラキュース大学の受講登録日がある。妻のお産のこともある。大阪を発つとき私は出産通知の電報の宛名をシラキュース大学院の寮にしておいた。一刻も早くおめでたを知りたい。ニューヨークにいては、電報の行く先が分らないのである。

 ニューヨーク見物をそこそこに切り上げ、私は毎日支局へ行った。

「日本料理でお別れをしようか」

 山内大介さんはそう言って私をアキへ連れて行った。

 当時のニューヨークに日本料理屋は2軒しかなかった。接待用の高価なサイトーとコロンビア大学に近いアキだけである。行って私は料理の名を忘れたが、とにかく日本食を食べた。

 そこで長らく疑問に思っていた質問を発した。

「日本で政治的な出来事がありますね。大臣が失言をして辞めたり社会問題になったりしますね。すると翌日の夕刊にアメリカの反応がでます。だがニュースがあってから原稿を書くまでニューヨークは真夜中です。あれ、どうやって取材するんですか」

 ニューヨークへ来て初めて知ったが早朝の42丁目には誰ひとり通っていない。どこに世論がある? まして日本について意見を持つ人がいないのに、どうやって「アメリカの反応」を取材できるのだろう。だいたいニューヨーカーの100人に99人はハドソン川の向こうで起っているニュースには何の関心もない。

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