読者のみなさまの「ご意見」から考えたこと

執筆者:樋泉克夫2017年6月7日
中国市場でのドイツ製品の好評には歴史的背景があった(C)AFP=時事

 

 前回の拙稿(2017年5月25日「読者のみなさまへの『回答』に代えて」)に対し、読者の方から寄せていただいた長文のご意見に接し些か考えるところがあり、以下を綴ってみました。

中国での「ドイツ製品」優位のワケ

 明治38(1905)年の3月から7月というから、日露戦争における奉天会戦に続く日本海海戦の大勝に日本全国が沸き返っていた頃、山川早水は湖北省宜昌から長江を遡り、成都、嘉定、重慶など四川省各地を歩いていた。その旅の記録である『巴蜀』(明治42年 成文館)には、ドイツ製品が四川省一帯で受け入れられるに至った経緯が綴られている。ちなみに山川については、清国末年の「四川高等学堂」日本語教師という以外、生没年を含め不明だ。

 四川省の省都である成都には、当時、ドイツをはじめフランス、アメリカ、イギリス、それに日本の製品が、上海から汽船によって長江を遡って運ばれていた。主に扱われていたのは「毛布、大小時計、靴、玻璃類、莫大小類、金屬器具、玩具、罐詰、酒烟、菓子、藥品、西洋食器、陶器、洋傘、洋紙、文具等」の日用雑貨だが、なかでも「獨乙品を以て巨擘と爲す」。第1に品質堅牢、第2に価格低廉、第3に消費者の「嗜好習慣」を巧みに取り入れているゆえに、ドイツ製品は圧倒的優位を保っていた。売れ筋は、「獨乙獨特の瀬戸引器具即ち洗面盤、藥鑵、手提割盒など」である。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。