読者のみなさまの「ご意見」から考えたこと
前回の拙稿(2017年5月25日「読者のみなさまへの『回答』に代えて」)に対し、読者の方から寄せていただいた長文のご意見に接し些か考えるところがあり、以下を綴ってみました。
中国での「ドイツ製品」優位のワケ
明治38(1905)年の3月から7月というから、日露戦争における奉天会戦に続く日本海海戦の大勝に日本全国が沸き返っていた頃、山川早水は湖北省宜昌から長江を遡り、成都、嘉定、重慶など四川省各地を歩いていた。その旅の記録である『巴蜀』(明治42年 成文館)には、ドイツ製品が四川省一帯で受け入れられるに至った経緯が綴られている。ちなみに山川については、清国末年の「四川高等学堂」日本語教師という以外、生没年を含め不明だ。
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