

山本晃久 鏡師。昭和50年生まれ。大学卒業後、国内では数少ない古来製法による手仕事で和鏡・神鏡・魔鏡を製作する山本合金製作所に入る。祖父山本凰龍に師事し、伝統技法を受け継ぎ、神社仏閣の鏡の製作や修理、博物館所蔵の鏡の復元に携わる。
「三種の神器」から日用品まで
徳永 まずは日本における鏡の歴史についてお伺いします。
山本 最も古い時代の日本の鏡は、古墳の副葬品として見つかっています。最初は中国大陸から伝わったものを日本人がまねをして作っていましたが、平安時代になると「和鏡」と呼ばれる日本独自の意匠が生まれます。ただ当時は、化粧道具というよりも神事や儀礼に使うものが中心でした。
桃山時代から江戸時代にかけて形状が多様化し、持ち手付きの手鏡や四角い鏡が登場、日常的にも使われ始めました。そもそも「鏡」という漢字の部首が「金偏」であるように、材質は基本的に銅合金です。今のようにガラスやプラスチックで作られる鏡が普及したのはずっと後のことです。
徳永 山本さんの工房に寄せられる注文のうち、一般の方が金属鏡を日用品やお土産として求めるケースはどのくらいありますか?
山本 全体の1~2割程度ですね。残りの8割は神社仏閣からのご依頼が占めています。
徳永 神社から注文を受ける場合、どのような要望がありますか。
山本 寸法や材質くらいで、それ以上に細かいこだわりを指定されることはあまり多くありません。大半は「昔と同じサイズで」とか「今まで使っていた銅鏡と同じような形で」などの要望です。
時には、古くから祀られていた鏡を再利用したい、というお話も頂きますが、古い鏡の合金の配合が分からないと、一度溶かして混ぜても鋳造の際にうまく固まらず脆くなるリスクが高いので、正直なところ難しいです。分析費用もかかるので、「とりあえず古い鏡を混ぜて作ってほしい」というレベルではお断りすることが多いですね。
徳永 鏡は、自分の姿が映るところから神秘的だと崇拝されると思うのですが、山本さんご自身が鏡を作っているときに「神秘性」を感じる瞬間はあるのでしょうか。
山本 私はあくまで職人なので、工房で作業している段階では「道具を作っている」という感覚です。ただ、それが実際に神社やお寺に納められ、御神体や依代(よりしろ)として扱われるようになると、そこから先はもう神聖な存在に変わります。鏡は三種の神器の一つにも数えられているので、日本人が鏡を特別なものと感じる気持ちは、DNAに無意識のうちに刷り込まれている部分があるのかもしれません。
遷宮による「技術分散」という知恵
徳永 製法の話を少し詳しく伺えますか。
山本 まずは鋳型づくりで、砂と粘土を混ぜた鋳型に模様を彫り込んでいきます。金属ヘラだけでも200種類以上あって、模様によって使い分けます。直径20cmほどの鏡でも、裏模様の製作だけで1~2カ月かかることがあります。次が「鋳造」の工程で、型を焼いて乾燥させてから銅・錫・亜鉛の合金を1200度以上まで溶かし、流し込みます。鋳造後は、粗さの違うヤスリを4種類ほど使い分け表面の凸凹を削り落とすのに半日以上かかります。ヤスリを使うと筋がつきますので、それを消すために「セン」という道具でさらに削り、仕上げていきます。
徳永 削りだけでも何工程もあるのですね。

山本 センで削った後は、砥石を使って表面のムラを落とします。砥石も粗さに段階があり、そこだけで半日単位の作業です。さらに「炭(すみ)研ぎ」といって、駿河炭と朴炭の2種類の炭を使ってより繊細に研ぎます。最終的にメッキを施す場合は外注することが多いですが、鏡面に仕上げるまでの研ぎ作業はすべて工房で行います。
製作期間はケースバイケースで、複数の鏡を同時進行で作ることが多いので一概に言いづらい面もあります。いずれにしても、20cmサイズでも数週間、60cmになると数カ月単位になるのは間違いないですね。日用品であっても宗教用であっても、作業工程そのものは同じです。
徳永 特殊なケースとして、遷宮などは「古来製法」「材料もコレ」と設計が明確に決まっているらしいですが、そうした依頼は対応が大変そうですね。
山本 遷宮の鏡は砂の配合から材料の種類まで細かい指定があって、古来製法を厳密に守らなければなりません。僕の代ではまだお話をいただいたことはないですが、二代目の時には関わったと聞いています。そもそも伊勢神宮の式年遷宮は20年に一度です。一社だけで独占してしまうと、技術を失うリスクがありますよね。その会社が廃業したり、後継者がいなくなったりしたら、次の遷宮の時に困るわけで。だから複数の工房や鋳物師が作れるように「技術分散」をする必要があります。
実際、古来製法を続けられる職人は全国でもそれほど多くない。僕の知る限りでは5社もないかもしれません。20年に一度の大きな仕事だからこそ、取り組むのは簡単ではありませんが、伊勢神宮の仕事に携われるのは職人冥利に尽きます。
伝統工芸を支える分業制のメリットとデメリット
徳永 家訓や先祖からの教えで、特に印象に残っているものはありますか。特に、師事した三代目のおじい様から大切なことを学んだと伺いましたが。
山本 祖父は「職人は商いのことを考えず、良いものを作ることだけに集中しろ。そうすれば次の商いにつながる」と、いつも言っていました。今は時代が変わって、工房を直接訪ねてくる観光客や、ネットで知って買いに来られる方も増えましたが、基本は「作り手は作ることに専念し、販売や宣伝は別の人に任せる」という役割分担を守りたいと思っています。
僕自身、いわゆる商いは得意じゃないですし、京都は分業の町なので、やはり専門家同士が連携するほうが効率も質も高いと思っています。大手メーカーが生産に特化し、商社が営業や輸出入を担うのと同じですよね。それに、自分から「いいですよ、いいですよ」とアピールするより、第三者が「これは良いものだ」と紹介してくれるほうが、はるかに信頼度も高いですし。
徳永 職人は職人の役割に徹する、ということですね。アーティストやデザイナーが自分のブランドを育てるのとは少し違うスタンスというか。
山本 ええ。アーティストの方のように自分で積極的にファンとコミュニケーションを取りながらブランディングする方法もありますが、僕らは「まずは良いものをしっかり作る」ことに集中したい。そのほうが職人としての本分を果たせますし、祖父の教えにもかなっていますね。もちろん今の時代、直接のお客さんも大切ですが、根っこの部分は変えずにやっていきたいです。
徳永 一方で、私も京都の伝統工芸の調査をしたのですが、分業によるメリットだけでなくデメリットも見えるような気がします。特に、産業全体が落ち込む局面では、逆に分業制が足かせになる面もあるのかなと。一つの製品に何十人もの人が関わるケースも珍しくありませんが、一工程でも担い手がいなくなると途端に「作れない」状態になってしまう。
山本 鏡作りでは「炭研ぎ」の工程が非常に重要ですが、実は、その駿河炭を作る会社が日本に一社しか残っていません。漆器の研ぎ出しに使われる炭と同じものなので、漆産業が落ち込むことで、炭を作る職人さんがいなくなり、結果的に私たちにも影響が出ています。
一つの工程が失われると、自分で代替するために新しい技術や道具を習得する必要が出てきて、結果的に職人が何から何までやらなきゃいけなくなる。作り手としての集中力を分散させることにもつながるし、分業ならではの専門性という強みも薄れてしまいます。結局、一つの工房だけ頑張っても、産業全体が縮小すると道具や材料を確保できなくなります。
職人は往々にしてPRが苦手
徳永 そうした状況下、三井グループの三井ゴールデン匠賞のように、行政や企業が伝統産業を支援しようと補助金や寄付金を出すケースもありますが、日本全体を俯瞰すると、まだ伝統産業にあまりお金が回っていない。
私はある会社の寄付を担当する人から「伝統文化産業って困っているの? どのくらい困っているのかデータはありますか」と言われたことをきっかけに、京都の伝統工芸を対象としたレッドリストを作りました。山本さんが企業、行政、社会に期待することはありますか?
山本 例えば、職人は往々にしてPRが苦手なので、全国や海外に発信できるメディアや企業に手を貸してもらえるとありがたいです。ハイブランドとコラボするとか、クラフト専門の媒体で特集を組んでもらうとか、そういう取り組みは効果があると思います。他にも、先ほどお話ししたように、私たちの業界では炭を作る人が減っていることが死活問題なので、その分野で誰かが継続的にサポートしてくれればだいぶ助かります。
一般のお客様にも、どういう素材・工程で作られているかを理解してもらえれば、多少高くても納得して買ってくれる人はいる。逆に安ければいい、早ければいいという考えだけだと、伝統産業は成り立ちにくいと考えています。
徳永 背景や工程が伝わってこそ「伝統産業ってすごい」と思ってもらえるし、「じゃあ炭を作る人を助けようか」となるかもしれない。支援策にもいろいろありますが、まずは消費者の意識を高めることが大事で、企業や行政には、ただお金を出すだけじゃなくて、そうした発信や教育の部分でサポートを期待したいということですね。
3倍4倍もの時間をかける職人は半人前
徳永 創業から160年ほどになるとのことですが、先ほどのおじい様の教えなどは、いわゆる「企業理念」として壁に掲げているわけではないのですか。
山本 そうですね。社訓が明文化されているわけではなく、祖父や父が実際に仕事に向き合う姿を通じて「良いものを作ることがすべての基本だ」と学んできました。技術だけじゃなく、仕事に対する考え方や思いも背中を見て引き継ぐものだと思います。
祖父からは「まずは炭研ぎだけをやれ」と言われて、何が正解かわからないまま続けました。完成したものを祖父に見せても、「ここをあと何ミリ」と細かく教えてくれるわけではなく、「もう一回やってきて」と突き返されたこともありました。「ここが甘い」とは言っても、具体的に理由を説明してはくれないのが普通でした。そういう意味では身体で覚える部分が大きいですね。
そのうち、「こうすればきれいに仕上がるのか」という気づきが出てくる。自分で「これならいける」と思える合格ラインを作れるようになるまで、具体的な正解は教えてもらえません。時間もかかりますが、それが職人の世界です。あるとき「あ、これだ!」と開ける瞬間があります。そのときに初めて「この技術は身につけた」と実感できる。特に僕は不器用で、コツコツ積み重ねるしかなかった。器用な人はすぐに飽きてしまうかもしれないけど、僕は少しずつ伸びていくプロセス自体に面白さを感じられました。

徳永 ある芸術大学では完璧な円を描く練習を延々やると聞いたことがあります。自分では「これで完璧」と思っても、先生に見せたら「まだまだダメ」と言われて初めて歪みに気付くそうです。
ただ、職人さんには「80点で満足せず、90点、100点を追い求める」イメージがある一方、対価は固定されているから、あまり時間をかけすぎると利益が出ない面もありますよね。実際には、作業時間を短縮して利益を出すことも必要なのではないでしょうか。
山本 そうです。同じサイズの作品を作っても、アーティストなら名が売れればどんどん高い値をつけられますが、僕らはそうはいかない。つまり「対価を増やすには時間を減らすしかない」という構造なのですね。
だから良いものを作るのは大前提として、いかにスピーディーかつクオリティを落とさずに仕上げるかが問われます。ベテランと同じ仕上がりを出せても、3倍4倍時間がかかるなら一人前とは言えない。そこが職人とアーティストの一番大きな違いかもしれません。だからこそ「どこまで突き詰めるか」「どこでOKを出すか」という基準設定がすごく重要です。
100点を目指したいと思う反面、時間をかけすぎても赤字になる。職人は顧客からの注文や評価で生きているので、品質が低すぎてもダメ、納期や価格が合わなくても成り立たない。そのバランスを追求するのが面白さでもあり、難しさでもありますね。
徳永 なるほど。私も商社マン時代に上司から、「お客さんへの提供価値は、価格、納期、品質の3点セットだ」と口酸っぱく言われたのを思い出しました。商売では、そのひとつでも欠けてしまうと評価されないのですね。
「魔鏡」を求めて訪れる海外のアニメファン
徳永 今後、山本さんが「こんなものを作ってみたい」「こういう仕事を増やしたい」という構想があれば教えてください。
山本 最近はアーティストの方からの依頼で、普段作らないようなデザインや模様を要求されることが増えてきました。伝統的な和鏡の場合はシンプルな模様が多いのですが、彼らはもっと複雑なデザインを求めてきます。そうした新しい挑戦ができるのはありがたいですね。
徳永 貴社の「魔鏡」がローマ教皇に献上された話がありました。実際に拝見しましたが、鏡面に光を当てると裏面の模様が映し出されるのが不思議でした。江戸時代には隠れキリシタンがキリストや聖母マリア像を仕込み、信仰を密かに守ったとされるそうですね。日本人にとっても非常に面白いものですが、貴社製品の海外への発信について工夫されていることはありますか?
山本 こちらとしてはまったく宣伝していないのに、「日本のアニメやゲームに出てくる魔鏡というアイテムの“現物”を作る工房があるらしい」と噂になったりします。ちょうど『刀剣乱舞』などで刀がブームになったのと同じ構造で、海外ファンの間で話題が広がると「実物を見に行こう」となるわけです。うちの工房にも、Googleマップで検索して直接訪ねてくる外国人がいます。SNSで話題になることもあって、本当に何がきっかけになるか分かりません。
僕たちは、良いものを作っていれば自然と誰かの目に留まる、と考えているので、海外からの需要にしても「来るなら歓迎するし、来なければ黙々とやっているだけ」というスタンスです。
徳永 神社仏閣に納めるための工芸品が、海外からは「アニメの世界観」「神秘的なアイテム」として興味を持たれる。ある意味、無形のコンテンツと有形の工芸品が結びついているように思います。
山本 そうですね。こちらとしては海外のお客さんなんて想定していなかったのですが、それも今の時代ならではだと思います。

徳永 AI(人工知能)のような最新技術を活用しようという考えはありますか。
山本 僕は大いにアリだと思います。たとえば、メールの返信やSNS投稿は職人にとっては負担が大きい。その時間を減らせれば製作に集中できますし。鏡づくりには莫大な手間と時間がかかるので、余計なところで消耗しないようにしたい。道具や手段は時代と共に変わりますから、AIに頼れるところは頼って、職人の“手仕事”の部分をより高めたいと思います。もちろん、機械が作った文章をそのまま送ると味気ないし、人間味がなくなるという懸念もあります。
文化だから大事? それだけでは説得力が足りない
徳永 最後に伺いたいのは、文化的な価値の話です。「なぜそれが大事なのか?」と聞かれたときに、「文化だから」としか説明できないと苦しくなることってありませんか。結局、需要があるかどうかに尽きるでしょうし、いくら「日本の伝統文化だから残しましょう」と言っても使い道がなければ廃れてしまう。
「手づくりの良さ」という点にしても、最近では「手で握ったおにぎりは衛生的に不安だから嫌」という人もいるようです。
山本 「文化だから」とか「手作業だから」というだけでは、説得力が足りないと思います。僕自身も、工業製品を否定しているわけでは全然なくて、むしろ「優れた点は取り入れよう」というスタンスです。その上であえて「手作りがいい」「伝統製法でやってほしい」と言ってくれる人がいるかどうかだと思います。
今は社会が大きく変化しています。新型コロナ禍ではリモート参拝が生まれて、人と神社仏閣との関係が変わりました。地方の神社やお寺も過疎化で宮司や住職が掛け持ちだったり、兼業していたりすると、十分な予算は出せない。そうなると僕らに発注する数も減るわけで、最終的には産業として縮小してしまう負のスパイラルが起きています。
徳永 私はこの5年ほど文化の意味について考えてきて、「他の人とは違っていたいけれど、他の人との繋がりも欲しい」というところに文化の本質があるのかもしれないと思うようになりました。
鏡もまさに、個々人が「他の人よりもおしゃれをしたい」「他の人が持っていないものを所有したい」という欲求から買い求めるのと同時に、宗教の道具として地域のコミュニティの繋がりを作り結束力を強めるためにも使われてきました。いま伝統文化と呼ばれているものも、元々は人と人との対話で育まれてきたわけなので、職人とお客さんが和鏡の使い道や魅力を一緒に考えるようなコミュニケーションが生まれたら嬉しいですね。本日はありがとうございました。