外国人の自由旅行はハードルが高い
2025年12月13日から16日にかけて、筆者は中央アジアのトルクメニスタンを訪問した。トルクメニスタン国立文化大学と首都のコワーキングセンターの2カ所で、日本文化に関する講演を実施するためだ。同国は訪問するにはハードルが高い国だが、在トルクメニスタン日本国大使館、及び現地受け入れ側の皆様の全面的な協力のもと無事に講演が終了した。この場を借りて御礼を申し上げたい。
トルクメニスタンは、中央アジア南部に位置する旧ソ連構成共和国で、国土の大半をカラクム砂漠が占める。古来よりシルクロードの要衝として、ペルシャ世界、遊牧文化、イスラム教、ロシア帝国・ソ連の影響が重なり合ってきた。1991年の独立後は、95年に永世中立を宣言し、基本的に特定の国に肩入れする外交は行っていない。外国人旅行者は原則として現地ガイドの同行が求められるなど、自由旅行には一定の条件が設けられている。
トルクメニスタンは緑を基調とした美しい国旗を持つが、赤い帯に描かれている部分は「世界の国旗で最も複雑な模様」だと言われている。これはトルクメン人の主要5部族(テケ、ヨムート、サルィル、チョウドル、エルサル)の絨毯の模様(ギョル)である。近年はテケ族出身の指導者が連続しているが、ソ連時代には特定の部族に権力が集中しないように、部族バランスを意識した人事調整がなされていたそうだ。
国民の500人に1人が日本語学習者
トルクメニスタンで講演を実施するに至った経緯だが、同国の日本大使館に勤務している筆者の知人が講演を企画して下さった。実はトルクメニスタンを訪問するのは2度目である。約6年前、ご縁があって同国の首都アシガバートと遺跡で有名なメルヴを訪問した。その際に、現地の方から日本についての質問をかなり頻繁に受けたことが印象的で、今回も、トルクメニスタン人は筆者の話に興味を持つかもしれないと思った。
筆者が感じた「親日ぶり」は同国の日本語の学習者数にも反映されている。大使館の担当者によれば、国内に約1.5万人の日本語学習者が存在するという。トルクメニスタンの人口が約750万人なので、単純計算でなんと国民の約500人に1人が日本語を学んでいることになる。学習者の急激な増加の背景として語られるのが、2015年の安倍晋三首相(当時)の同国訪問だ。これを機に、大学だけでなく一部の中等教育機関においても、日本語教育に留まらず日本式教育が取り入れられたそうだ。在留邦人の数は15名ということで、担当者の方も「世界で最も日本語の需要(日本語を話す機会)に供給(日本人ネイティブスピーカー)が追い付いていない国だと思う」と話す。
同国の「日本愛」は国民レベルだけではない。別のトルクメニスタン駐在経験者が教えてくれたことだが、実はグルバングル・ベルディムハメドフ第2代大統領は天皇陛下の大ファンで、日本大使館主催の天皇誕生日レセプションにだけは、自分の名代として息子(現大統領のセルダル・ベルディムハメドフ氏)を出席させていたという。永世中立を掲げる国においてこうした対応は異例である。現大統領も2025年だけで2度来日しており、2026年には国営航空会社が東京とアシガバート間で直行便を飛ばすとの報道もある。
白で統一された清潔な首都
12月13日早朝、アシガバート空港に到着し、市内のホテルに移動した。大使館の方々との夕食まで予定が入っていなかったので、仮眠を取った後、市内を軽く散歩することにした。
トルクメニスタンについては、インターネット上では「中央アジアの北朝鮮」とか「謎の独裁国家」という触れ込みをよく目にするが、実際に街を出歩いてみると、正直筆者はそのような印象を受けることはなかった。基本的に街の中は自由に行動できるし、政府関係の建物以外は写真撮影も可能だ。人物の写真も本人が良しとすれば一緒に撮影もできるし、筆者も何度も現地の方から一緒に写真を撮るよう頼まれた。ただ、大統領の肖像画は街中に多くあったので、そういう印象を与えているのかもしれない。
通りを歩くと非常に清潔感を感じる。公共事業に街の清掃が組み込まれており、ごみ一つ落ちていない状態が保たれているというのもあるが、独特な街の雰囲気もまたその要因のように思える。初代大統領からの方針で、アシガバートの建物の色は計画的に白系統で統一されている。また、白い街に白以外の車は似合わないということで、首都には基本的に白色(もしくは銀色)の車以外は入域を許可されない。滞在期間中に1度だけ黒い車を見たが、それはある中東の国の外交用車で、アシガバートで唯一の色付きの車だそうだ。
翌日には、現地のガイドの方に市内を案内してもらい、近郊にも足を延ばした。活気ある市場や、初代大統領のサパルムラト・ニヤゾフ氏とその家族を顕彰する巨大なモスクを見学。トルクメニスタンの伝統的な料理を食べられるレストランでは食レポにも挑戦した。基本は中央アジア全体に共通する料理だが、ドグラマという羊肉とパンを煮込んだスープなど、トルクメニスタンで初めて見たものもある。現地の方いわく、スープにすることで硬くなったパンが柔らかくなり、食べ物を無駄にしないで済む。もちろん、味も良くなる。家庭の知恵や食文化の中で受け継がれてきたもので、素朴ながら滋味深い味わいであった。
興味深かったのが、同国の名馬アハルテケの乗馬体験だ。世界最古級の馬種だそうで、乗馬の前に様々な馬を見せて頂いた。中には黄金色で肌のきめが細かく、素人の目から見ても美しいものも含まれていた。一説によると、『三国志』に登場する名馬「赤兎馬」はこのアハルテケだという。大阪・関西万博のトルクメニスタン館内で放映された動画でもアハルテケのことを大々的に紹介していたため、こうした機会は非常に有難かった。
スタートアップが集まるコワーキングスペース
さて、肝心の講演だが、最初の舞台はトルクメニスタン国立文化大学である。約100名の学生を前に「文化とは何か?~伝統工芸の視点から見る日本文化~」という題で話をした。学生たちは伝統工芸や文化財の修復、他にも様々な楽器や踊りなどを学んでいる。卒業生の多くは博物館で修繕の仕事をするか、伝統工芸士として活躍するそうだ。筆者が学内に入るとすぐに歓迎の歌と踊りが始まり、その後も、刺繍のパフォーマンスや、文化財の修復の作業過程を見せて頂いた。
そうした文化に対する強い興味関心を持つ学生たちに対し、筆者は講演の冒頭で「皆さんは文化の名を冠する大学で勉強しているのだから、文化とは何か、文化はなぜ大事なのかという質問にはきっと答えられるでしょう」とやや挑戦的な質問を投げかけたが、学生たちからは思い思いに自分の考えが飛び出した。往々にしてこうした講演では質問があまり出ないのが常だが、講演の途中にも様々な質問や感想が投げかけられて、活発なやり取りができたのは嬉しかった。
もう一つの講演場所はIsh Nokadyというアシガバート市内のコワーキングセンターだ。ここでは、約90名の一般参加者を前に「日本の百年企業の研究~2050年の成熟社会を検討する~」という題で、筆者が現在研究を進めている日本の老舗企業についての中間報告を実施した。トルクメニスタンの独立国としての歴史は1991年に始まるが、古くは紀元前のパルティア国、モンゴル統治時代、続くロシア帝国時代など、様々な歴史を紡いできた土地だ。それゆえに、100年以上続く日本企業の話は彼らにとっても興味深いのではないかと考えた。
平日の夜にもかかわらず約90名が集まってくれたが、中には起業家やその家族、日本語を学ぶ学生も含まれていた。総じて強い興味を持って話を聞いてくれた。お陰様で当初の時間を大幅に延長し、最後の写真撮影を含めると合計約3時間、皆様にお付き合い頂いた。
印象深かったのは、このコワーキングセンターが外資系企業も入居するショッピングセンターの中に位置し、非常に開かれた環境下で人々が仕事をしていたことだ。正直に言うと、渡航前は同国にスタートアップ企業が集まるコワーキングスペースがあるとは思えず、大使館から講演場所として提案された時には、思わず「国営企業の幹部や官僚が強い力を持つ国に、そもそも民間企業があるのですか?」とやや失礼な質問をしてしまったくらいだ。
こうした先入観を変えてくれたのが同センターの所長だ。民間企業出身の女性で、同国の強い官僚機構と粘り強く仕事を続け、現在は一種の特区のような場所を作り出した。日本大使館の方も「トルクメニスタンでは、例えば大学でイベントをする場合は教育関係の省庁に届け出が必要だが、Ish Nokadyであれば手続きは不要」と教えてくれた。今回の渡航前と後では、トルクメニスタンという国のイメージが大きく変わった。
他者に触れることで、自分たちの文化に興味を持つ
講演中には「日本は~のような国だと思っていたけれど、実際はどうなのですか?」という質問が複数あったことに感銘を受けた。おおよそ15年前、まだスマートフォンが普及していない頃に旧ソ連圏に旅行をした時には「日本では刀を持った侍が街を歩いているのか」という質問を何度も受けた。
それが、徐々にインターネットでも情報が検索できるようになり、よりリアルな日本像が世界各地に届けられるようになった。しかし、それでもまだ、「日本人は真面目でよく働く」とか、「日本人は非常に親切だ」とか、既存のステレオタイプに留まる情報が多い。日本について一定の知識がある前提で「実際のところどうなの?」という疑問に応答できたのは良い対話機会だった。
もう一つ嬉しかったのが、講義終了後に何名かの方から、「日本の文化の話を聞いて、トルクメニスタンの文化に改めて興味を持てた」「トルクメニスタンの文化をもう一度見直そうという気になれた」という感想を頂いたことだ。トルクメニスタンでは、地理的・制度的な事情もあり、日常生活の中で外国人と接する機会は必ずしも多くない。そのため、異なる文化と向き合う場が生まれた際には、自国の文化を改めて相対的に捉え直す機会ともなり得る。筆者は、文化とは相対的な存在で、他者との比較によって定義できるものだと考えている。筆者自身も、海外留学を経て日本文化に興味を持ったのが現在の活動の原体験だ。
自分の講義が来場者にどこまで良い影響を与えられたかはわからないが、改めて文化の持つ力――互いの差異を認識することで、他者に興味を持つと同時に、自分を振り返るきっかけを作る力――を再認識した次第である。