レザー・パフラヴィーの「鈍感」
イランの体制転換を求める側にとっての難題は、それを成し遂げるための道筋を描けていないことだ。1979年のイラン革命では、当時の王政が進めてきた過度な西洋的近代化に宗教勢力や共産主義勢力が異議を唱え、これらがイランの社会に適した統治のあり方について思想的な基盤を提供していた。抗議活動においても王政の打倒のみを主張するのではなく、政治活動の規制の緩和や、民主的な選挙の導入、立憲主義に基づく統治の実施が訴えられ、「0か1か」ではない政治改革の実践を要請する側面があったことが、新たな政治への展望を現実的なものにさせていた。
しかし、今のイラン社会には現体制に代わる統治構想を描ける勢力が不在である。抗議デモの一部では王政の復古が叫ばれ、米国に亡命している王政時代の最後の国王(シャー)の息子であるレザー・パフラヴィーは民衆を扇動して体制転換を呼び掛けたが、彼は大半のイラン国民にとって選択肢になっていない。旧王政は米国の傀儡としてイラン国民を弾圧した過去があることに加え、彼は反体制の在外イラン人コミュニティとも連携できておらず、イラン社会から乖離している存在である。
今回のデモについてパフラヴィーは、デモを扇動することで国民を死に追いやっていることに責任を感じるかと米CBS Newsのインタビューにて問われた際、「これは戦争であり、戦争には犠牲がつきものだ」と答えている。これは体制による弾圧で非対称的に発生した民間人の死者を「(対称的な対立構図である)戦争の犠牲者」としてラベリングしただけでなく、デモの結果として起きた悲劇の責任を負うことから逃避したものとして強く批判されている。パフラヴィーはイスラエルがイランを爆撃している12日間戦争の最中においても、イスラエルを非難するのではなくイラン国民に政権打倒のために立ち上がることを呼び掛ける等、彼が民衆の被害に鈍感なことは多くのイラン人の不興を買っている。
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もっとも、イラン社会から有力な反体制運動が出てこないのは、単純に彼らだけの問題ではない。
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