共通の歴史を持たない分裂国家、オリガルヒやマフィアに支配される腐敗体質、経験と士気を欠く軍隊――。ウクライナに対しては、このような言葉が数多く投げかけられてきた。ロシア流の上から目線に基づく誇張が入り込んではいるものの、これらの批判はある意味でこの国の弱点を突いてもおり、ウクライナ人から同様の不満を聞くこともあった。
そのような社会が、近年大きく変化しているという。ロシアの全面侵攻という未曾有の大難に巻き込まれ、国運を懸けた戦争に向かわざるを得なかったこの国で、何が起きているのか。日夜攻撃にさらされるウクライナを歩いた。
突然現れた若者たち
キーウをはじめとするウクライナ主要都市へのロシア軍攻撃は、2024年春にいったん下火になったものの、2025年6月から急増した1。引き金となったのは恐らく、6月1日にウクライナ保安庁が実施した「蜘蛛の巣作戦」だっただろう。ロシアの奥深くに位置する複数の空軍基地をウクライナのドローンが攻撃し、ウクライナ側によると40機以上に被害を与えた出来事で、ロシア側の攻撃激化は、これに対する報復だった可能性がある。
軍事施設よりむしろ、民間の住宅や学校、幼稚園、病院を主な標的として、数十から数百機レベルのドローンにミサイルを加えた攻撃が、連日のように続いた。その波は2026年に入っても途絶えていない。
その最も激しいものの1つが、2025年6月17日未明にキーウ市内の住宅街を襲い、少なくとも28人の犠牲者と100人以上のけが人を出した攻撃である。7月末、その現場を訪れた。
市内西部の幹線道路から少し入ると、ソ連時代のアパートが並ぶ。その一角で、横に長い9階建てコンクリート製の1棟が真ん中で2つに割れていた。当日の午前4時前、このアパートの中央の3、4階部分にミサイルが着弾し、上下の居室を巻き込んで崩れ落ちた。
その地下には無届け営業のカジノが設けられていた。キーウは午前0時から5時まで外出禁止だが、この時はこっそり営業していたと見られる。崩れた瓦礫が撤去された後、探索犬が騒いだのでさらに地下を掘ったところ、カジノの客らと見られる遺体が数体見つかったという。
出来事から1カ月あまり経って、瓦礫の多くは片付けられているが、現場の周りには焼け焦げた車が残り、衝撃がなお生々しい。周囲の窓の多くも割れ、応急措置として木質ボードや合板がはめ込まれている。
ウクライナ国立工科大学の教員カテリーナ・ルゴウスカは、このアパートの最上階に住んでいた。同じ縦列の7階には両親も暮らす。当日は、攻撃の直前に警報が発令されたため、自宅アパートの真下にある地下シェルターに避難していた。自宅がある箇所は着弾地点から少し離れており、部屋の内部に大きな被害は生じなかったが、衝撃で窓ガラスが割れてしまった。
「住居が破壊されてしまえばキーウ市が仮に住む場所を提供してくれますが、私の場合アパート自体はそのまま残ったので、壊れたところを自分で直すしかありません。夏だったからまだましだったのですが、修理には時間も費用もかかります」
しばらく待たなければ、と諦めていたカテリーナを驚かせたのは、翌朝だった。見知らぬ若者たちが5人ほど、木質ボードを携えてやってきた。てきぱきと15分ぐらいで作業を進め、居間と台所の壊れた窓にボードをはめ込んだ。光は入らないが、これで雨露はしのぐことができる。
「被害を受けて落ち込んでいた時だけに、若者たちの振る舞いには大いに励まされました。戦争だからこそ、人間の嫌な面が見えると同時に、人間の良い面にも気づかされました」
彼女はこう振り返る。
若者たちはどこから来たのだろうか。キーウ郊外で、彼らに会った。
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