それでもイランは地域大国であり続ける――「12日間戦争」で傷ついた威信と試されなかった体制のレジリエンス

執筆者:村上拓哉 2025年7月10日
エリア: 中東
統治の安定性という観点では、イランと戦前のアフガニスタン、イラクの状況には大きな隔たりがある[愛国歌「ああ、イラン(Ey Iran)」を歌えと呼びかけるハーメネイー最高指導者の写真の前を歩く人々=2025年7月9日、イラン・テヘラン](C)EPA=時事
 “体制転換後”の政治基盤になりうる勢力が不在のイランは、かつてのアフガニスタンやイラクとは異なっている。イスラエルの攻撃から受けた被害は甚大とはいえ、一方で地上戦力は温存されたことも見逃せない。仮にハーメネイー最高指導者の暗殺などでイスラーム共和制が崩壊すれば、革命防衛隊主導の軍事政権が誕生する可能性も低くはないが、その可能性を排除するなら米軍は地上戦を避けられなかった。今回の「12日間戦争」はイランの威信を傷つけたものの、イスラエルと米国が望んだような打撃をイランに与えたとは考えにくい。

「ならず者国家」、あるいは「悪の枢軸」と米国から呼ばれてきたイランであるが、同じラベリングを受けてきた北朝鮮と大きく異なる点が一つある。イランは、紀元前6世紀のアケメネス朝の時代より地域の覇権国として興隆を繰り返してきたペルシア帝国の流れを汲む歴史的な地域大国であり、それは2025年の現代も変わらないということだ。

 イランの人口は中東地域でエジプトに次ぐ8750万人を数えており、これはイラク、サウジアラビア、シリアの国民人口を合わせた数に匹敵する。1979年のイラン・イスラーム革命以来米国から40年以上に亘る経済制裁を受けながら、2024年の名目GDP(国内総生産)は4014億ドルと、トルコ、サウジアラビア、イスラエル、UAEに続く中東第5位に位置している。石油・天然ガス資源が豊富なことに加え、長年の経済制裁により自前の技術に依拠する工業も発展しており、年間100万台以上の自動車を生産する自動車産業はトルコに並ぶ規模となっている。全世界におよそ2億人いると推計されるイスラーム教シーア派の教義に基づいた政治体制が採られており、各国のシーア派コミュニティを影響圏とするイデオロギー的な中心地でもある。

 6月13日から始まったイスラエルとイランの軍事衝突――通称「12日間戦争」は、米国がイランの核施設を空爆したこともあり、イラン核問題と関連付けて報じられる傾向が多いように思われる。筆者も4月から続くイラン核交渉の進展をフォローしてきた身として、イスラエルと米国の攻撃がイランの核開発をどれくらい遅らせることができたのか、そして今後のイランとの核交渉の展望には、強い関心がある。

 しかし、本稿ではあえて、イスラエル・イラン間の軍事衝突の意義を中東情勢全般の中で捉えることをまずは試みたい。イラン核問題の解決は国際社会にとって重大な課題であるが、本件を核問題のみに収斂させて論じるのは、却って地域全体の問題の本質を見失うことになりかねないと考える。かつて米国のバラク・オバマ政権がイランとの間で核合意を成立させながら、イスラエルやサウジアラビアといった地域の同盟国への不満に十分に対処しなかったことがその後の各国のイランに対する先鋭姿勢につながったように、イラン核問題は地域情勢と密接に関連している。したがって、まずは12日間戦争を経てイランが置かれた状況を評価することで、イラン核問題を含む地域秩序の展望を占うための前提を整理することにしたい。

「12日間戦争」でイランが受けた軍事的な大損害

 1967年6月の第三次中東戦争において、イスラエルはエジプトからガザ地区とシナイ半島全域、シリアからゴラン高原、ヨルダンからヨルダン川西岸を奪取し、占領地を含めた領土を戦前の4倍以上に増やすという圧倒的勝利を収めた。イスラエル側の被害は1000人以下であったのに対し、アラブ諸国側は1万人以上の戦死者を出している。イスラエルとアラブ諸国の戦闘はわずか6日間で終結していることから、この戦争は「6日間戦争」とも呼ばれている。

 その58年後となる2025年6月のイスラエルとイランとの間の12日間戦争では、イスラエルは6日間戦争に勝るとも劣らない軍事的な戦果を上げることに成功している。

 6月13日にイスラエルの先制攻撃で始まった両国の衝突は、イスラエルが初手でイラン軍の参謀総長や革命防衛隊総司令官、ハータム・アル=アンビヤー(作戦本部)司令官、革命防衛隊空軍司令官、革命防衛隊防空司令官と、イラン軍の最高幹部を軒並み殺害し、開戦初日にしてイラン軍の指揮系統に深刻な損害を与える奇襲攻撃で幕を開けた。首都テヘランでは軍の幹部が居住する部屋をピンポイントにミサイル攻撃した跡が多数確認されており、軍幹部の住居や位置情報を網羅的かつ即時に把握していたイスラエルのインテリジェンス能力と、それを同時多発的に実行する軍事能力の高さを世界に見せつけることになった。イスラエル軍は後任のハータム・アル=アンビヤー司令官も17日に殺害しており、軍中枢を執拗に標的にし続けるという情報戦での大勝利を収めている。

 また、イスラエルの空軍力はイランを圧倒し、西部国境から直線でおよそ500㎞も距離があるテヘランは、開戦初日から連日のように空爆を受け続けた。イスラエル国防軍は、開戦4日目の6月16日にはイラン西部からテヘランにかけての広大な空域で完全な航空優勢を確保したと宣言しており、わずか4日間でイランの主要な防空設備がほぼ無力化されたことになる。そして開戦10日目の6月22日には米国がB-2爆撃機によるイランの核施設3カ所に対する空爆を実施したように、イランは空爆への抵抗手段をほとんど発揮することができず、サンドバック状態になってしまった。

 イランは弾道ミサイル500発に、1000機を超えるドローンによってイスラエルに対する22波に及ぶ反撃を実施したものの、それぞれが受けた被害の差は歴然としている。イスラエル領内の人口密集地に着弾したのはミサイル36発とドローン1機のみであり、イスラエル側の死者は28人に留まっている。また、これに加えて軍事基地5カ所に6発のミサイルが着弾した可能性があるとの情報もある。これに対し、イラン側は900カ所を超える空爆を受け、死者は900人超に上った。イスラエルはイランのミサイル発射基地や防空設備といった軍事基地に留まらず、ミサイルやドローンを始めとする軍需品を製造する工場や研究施設、国防省や内務省などの政府機関、石油・ガス精製所や発電所といったインフラ施設を空爆しており、広範な標的がイスラエルからの攻撃を受けることになった。各施設の詳細な被害状況は不明なところが多いが、復旧や再建に数年以上の時間を要することは疑いない。イランの反撃能力の根幹である弾道ミサイルも、発射台の総数の過半数となる200台以上が空爆によって破壊されたと推計されている。

 イランではロシアから輸入したS-300による防空システムが導入されていたが、これは2007年に両国の間で調達契約が結ばれたものの、米国・イスラエルがイランの防空能力の向上に強い懸念を示したことで、2010年にロシアが一度契約を撤廃した経緯がある兵器である。その後、2014年のクリミア侵攻を契機にロシアと米国の関係が悪化したこと、2015年に核合意が成立してイラン・米国関係が改善したことが後押しとなり、契約から8年越しとなる2016年にロシアはイランへのS-300供与に踏み切った。当時のイラン情勢をめぐる中心的な問題の一つであった深い因縁のある防空システムであったが、これがイスラエルの空爆によって早々に瓦解したことは、時代の大きな変化を示唆していよう。

 イスラエルは2024年4月と10月にもイランの防空網を突破して防空システムの設備に損害を与えているが、首都への空爆を受け続けるイランの軍事的な脆弱性がここまで白日の下に晒されたのは、現体制下では初めてのことである。国営テレビ放送の生中継が流れている最中に放送局がイスラエルの空爆を受けたことは、映像を通じてイラン国民にも精神的な衝撃を与えたが、イスラエルに伍する存在と見られてきたイランの地域大国としての威信を傷つけるにも十分過ぎる光景であったと言えるだろう。

温存されたイランの地上戦力

 イスラエルの空爆によって大きな軍事的損害を受けたイランであるが、一方で12日間の交戦でほとんど被害を受けなかった領域についても確認したい。

カテゴリ: 軍事・防衛 政治
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執筆者プロフィール
村上拓哉(むらかみたくや) 中東戦略研究所シニアフェロー。2016年桜美林大学大学院国際学研究科博士後期課程満期退学。在オマーン大使館専門調査員、中東調査会研究員、三菱商事シニアリサーチアナリストなどを経て、2022年より現職。専門は湾岸地域の安全保障・国際関係論。
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