エプスタインを通してつながるロシアと日本――インテリジェンス研究者から見たネットワーキングのリスク(前編)
ジェフリー・エプスタインは、政治家、富豪、学者、王族を横断的に行き来して巧みなネットワーキングによって自らの影響力を誇張し、資金を動かすフィクサーであった。彼の国際的人脈、情報、そして資金力に世界中のエリートが引き寄せられた。日本の伊藤穰一(千葉工業大学学長、当時マサチューセッツ工科大学メディアラボ所長)もその一人である。問題は、ロシア情報機関もまた、エプスタインの持つネットワークを利用しようとした点にある。
エプスタイン文書とは何か
エプスタインは2008年、フロリダ州の邸宅における未成年者への売春勧誘で禁錮18カ月の有罪判決を受けた(司法取引により日中の外出は認められた)。さらに2019年7月、性的目的の人身売買容疑で再び逮捕され、翌月、勾留中の独房内で首を吊って死亡しているのが発見された(66歳)。マンハッタンの邸宅からは、少女たちのわいせつな写真が大量に発見された1。
「エプスタイン文書」とは、2025年11月に成立したエプスタイン文書透明化法に基づき米司法省が公開した、300万頁超の捜査資料である。そこに記録された内容は米国内外に大きな衝撃を及ぼしており、英国のアンドリュー元王子やピーター・マンデルソン前駐米大使が逮捕された他、ノルウェーのトールビョルン・ヤーグラン元首相らへの捜査が始まっている。
エプスタイン文書の大半は関係者との電子メールであるが、内輪的な冗談や暗号的言い回しが混在し、第三者には解釈が困難な場合も多い。例えば、伊藤から日本に関する提案を求められた際にエプスタインが言及した「偽札」発言2、あるいはエプスタインの所有するリトル・セント・ジェームズ島訪問に関連した「Japan/dogs」といった表現である3。
こうした曖昧さが憶測を呼び、ソーシャルメディア上では陰謀論も拡散している。また、ロシアの一部メディアはエプスタイン文書を素材に偽情報を生成し、エマニュエル・マクロン仏大統領関与説などを流布している4。
本稿は、エプスタインとロシアとの関係を公開資料とも突き合せながら分析し、日本にとっての示唆や教訓を導出することを目的とする。公開された電子メールの分析には典型的な二つの落とし穴がある。第一に、センセーショナルな内容を求めるあまり、全てが怪しく思え、内容を過大評価するバイアスである。第二に、最も機微なコミュニケーションはメールではなく対面や電話で行われる傾向があるため、メールのみを根拠にすると関与を過小評価してしまうバイアスである5。実際、エプスタイン自身が「not for email」と返信している事例も複数確認できる6。この両極端のバイアスを意識しながら慎重に分析を進める必要がある。
メディア王ロバート・マクスウェルのソ連人脈を引き継いだ?
エプスタイン文書の分析に入る前に、エプスタインとロシアとの関係について歴史的背景を整理しておきたい。
エプスタインには長年のパートナーであったギレーヌ・マクスウェルがいた。彼女は2020年7月、未成年の少女らの人身取引でエプスタインの共謀者として逮捕され、ニューヨーク連邦地裁で禁錮20年を言い渡され、現在服役中である。このギレーヌの父は英国のメディア王ロバート・マクスウェルであった。
マクスウェルは、ペルガモン・プレスなどの学術出版で富を築いたが、ソ連とも深い関係を築き、ソ連の科学医学出版物の海外販売を一手に担った7。マクスウェルのソ連寄りの発言から、ソ連反体制派のウラジーミル・ブコフスキーは、マクスウェルをやはりソ連と深い関係にあった米国の大富豪アーマンド・ハマーと並べ、ソ連のエージェントになったビジネスマンでなければ、ビジネスマンとなったソ連のエージェントだろうと皮肉を述べている8。
1991年のソ連崩壊前夜、ソ連共産党幹部はKGB(国家保安委員会)が立ち上げた複数の海外企業の名義で西側銀行に口座を開設し、90億ドルとも言われる莫大な資産を秘密裏に海外移転した9。マクスウェルは、このオペレーションで西側の中心人物のひとりだったと指摘されている。
ソ連共産党の資産の海外移転に関わった複数の党関係者は、自宅の窓から落下するなど謎の死を遂げた。マクスウェルもソ連崩壊の直前、1991年11月にカナリア諸島沖で自らが所有する大型ヨット船から転落して溺死体で発見された。事故として処理されたが、その死は謎に包まれ、今でも自殺説や他殺説がささやかれる。戦間期のチェコスロバキア最東端の山間の村(現在はウクライナの西端)でユダヤ人の家庭に生まれたマクスウェルの遺体はエルサレムに埋葬された。葬儀にはイツハク・シャミル首相らも参列し弔辞を述べたことから、マクスウェルとイスラエルの情報機関モサドとの関係も噂されている10。
このマクスウェルが特に可愛がっていた末娘がギレーヌであった。ギレーヌは、父の死後に発覚し英国史上最大級の企業スキャンダルとなった年金基金横領問題を逃れて米国に移住し、ニューヨークでエプスタインに出会ったとされている。
しかし、近年、1980年代後半に父ロバートがエプスタインにギレーヌを紹介したという証言が出てきている。フランスのモデル斡旋業者ジャン=リュック・ブルネル(エプスタインの仲間であり、2020年末、強姦罪と性的人身取引の容疑で逮捕、2022年パリの拘置所で首吊り自殺)の元側近によれば、マクスウェルはエプスタインの初期のクライアントであったという。つまり、エプスタインがマクスウェルに租税回避やオフショア銀行取引を指南する一方で、エプスタインはギレーヌを通してマクスウェルの人脈や資産を受け継いだ可能性がある。エプスタインは遅くとも1998年にはロシアを訪問している(当時、アンドレイ・サハロフの自宅前に立つエプスタインの写真がある)11。
有力政治家たちを介したプーチンへのシグナル
エプスタイン文書の中では初期のロシア・コネクションは、2010年11月にソ連生まれスウェーデン国籍の富豪ウラジスラフ・ドローニンがエプスタインをカイロのパーティに招待するやり取りに確認できる。「ロシア渡航に査証は必要? プーチンの友達を知っている。彼に頼んだらよいか?」と聞くエプスタインに対し、ドローニンはロシア査証の支援を申し出ている12。
このドローニンとのメールの少し後でエプスタインが申請した2011年1月から1年間のロシアの数次商用査証の申請書類のなかで、そのロシア側招聘機関はあろうことか、FSB(連邦保安庁)の退役将校組織である「ヴィムペル」となっている(図1参照)13。この招聘機関を手配したのは、エプスタインが言及した「プーチンの友達」なのか、ドローニンなのかは不明である14。
2013年頃からエプスタインのウラジーミル・プーチン露大統領に対する関心の高まりが確認できる。5月16日、英労働党の有力政治家ピーター・マンデルソン(2025年にエプスタインとの深い交友関係が明らかになり駐米大使を更迭された)に対し、エプスタインは「プーチンと会ったことがあるか? サンクトペテルブルクで投資家を集めた会議をやっているようだが」と尋ねている15。
エプスタインはマンデルソンのみならず、複数の人物をプーチンとの橋渡し役に使おうとしたようである。
「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。