アメリカ・イスラエルの対イラン戦争が、激しさを増している。アメリカのトランプ政権が、イスラエルの誘いに応じて、戦略的見通しのない軍事行動を起こしてしまったことが、直接の原因である。
私自身は、開戦直後からアメリカとイスラエルの「技術に溺れた賭け」は、実際には長期消耗戦に陥る可能性が高く、構造的な「アメリカの衰退」の傾向を強めていくことになるだろう、ということを書き続けている。
https://shinodahideaki.theletter.jp/posts/074b8ecd-0ac2-4387-a15c-ce427e6f15ff
https://gendai.media/articles/-/165036
今回、特に特徴的だったのが、現実から乖離したドナルド・トランプ大統領のSNSでの言葉に一喜一憂する金融市場や、異様な楽観論を流布したアメリカのシンクタンク系の論評に流される安全保障専門家層が、目立ったことだ。「地政学リスク」は語っても実際の政治情勢分析を主体的に行う準備がない金融関係者のみならず、アメリカのシンクタンクの言説を絶対視するあまり宣伝戦に加担してしまいかねないところまでいってしまう場合がありうるリスクが露呈した。
地域研究者や私のような武力紛争分析者は、当初から長期消耗戦を予測する悲観的なシナリオを中心に想定した。ところが安全保障研究者の間では、早期のイランの弾薬消耗を強調する傾向などが見られた。歴史家は、アメリカの驕りゆえの失敗を叙述するだろう。同時に、その背景に軍事分析の限界あるいは視野の狭隘さがあったことも指摘するかもしれない。
本稿では、その日本の知的閉塞状況を念頭に置きながら、政治情勢分析の中で重要になる事柄の一つに焦点を当てて、論を進めてみたい。今回の戦争をめぐる言説では、事実誤認と言わざるを得ないレベルの言説から、知識不足あるいは関心そのものの不足を指摘せざるをえない状況が、生じてきている。いくつかの点は、情勢分析に非常に深刻な意味を持つ。論点は多々あるが、本稿では、なぜアメリカとイスラエルは、異常なまでにイランを敵対視するのか、という点について、焦点を絞って、議論を進めてみたい。
核開発疑惑は論点ではない
日本では、無理を重ねてアメリカ政府に同情的になろうとするあまり、イランが核開発をしていたから先制攻撃をされた、といった根拠が全くない話で、お茶を濁そうとする場合が多々見られる。そもそも日本政府が、まだそのようなことを言っている。だがトランプ政権高官ですら、仮に将来の核開発の可能性を消滅させるまで破壊するといった趣旨のことを述べたとしても、2026年2月末の段階でイランが核兵器の開発をしていた、といった認識を披露することはない。イスラエルが、ありとあらゆる虚言的な悪口をイランについて述べる際に、誇張して述べて見せたりすることがあるくらいだろう。攻撃前のアメリカとイランの間の交渉でも、核開発疑惑そのものよりも、ミサイル攻撃能力の制限などが論点になっていた。しかもイランが譲歩の用意を見せたところで、あえてイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相がトランプ大統領を説得して、突然の最高指導者殺害の攻撃に踏み切った、というのが事実である。
そもそも宗教指導者であるアリー・ハメネイ師が、核兵器はイスラムの教えに反する、という理由で、保有を禁じるファトワ(宗教令)を出していた。イランは宗教国家であり、最高指導者のファトワの意味を過小評価するのは、適切ではない。
核開発疑惑は、イランを警戒するアメリカやイスラエルにとって抽象的な脅威であったとしても、現実に存在している脅威ではなかった。もちろん核開発疑惑も、十年以上にわたって国際社会をにぎわせている話題ではある。しかしさらにいっそう長期的な視野で問題を見てみないと、事情はわからない。
アメリカ(・イスラエル)のイラン敵視は最近始まったものではない
政治情勢分析の観点から見れば、アメリカ・イスラエルとイランの間の敵対関係が始まったのは、1979年のイスラム革命の時である。
4月1日に行った国民向け演説で、トランプ大統領が、「47年間にわたりイランはアメリカとイスラエルを憎み続けてきた」といった趣旨の説明を繰り返したのは、その事情の反映だ。
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