黒住 宗芳(くろずみ むねよし)
江戸後期に誕生した「神道 黒住教」次期8代目。1991年岡山県生まれ。立教大学経営学部卒業後、会社員生活を経て2016年より現職。神職である傍ら教団の経営改革に注力し、現代における宗教の存在意義やあり方を模索中。ライフワークとして、文化振興や地域活性化などの企画にも積極的に参与している。https://kurozumikyo.com/
明治政府の国家神道と袂を分かち「黒住教」に
徳永 黒住教について教えて下さい。
黒住 黒住教は、江戸時代後期の1814(文化11)年に成立した教派神道の一つです。日本人を「教祖」にもつ最も古い宗教でもあります。
教派神道とは、独自の教義を持った神道系教団を指します。一般的に神道には、仏教やキリスト教のような明確な教典や教義はなく、また教祖もいません。古事記のような神話や伝承はあっても、神様自らが教えを説くわけではない。それに対して黒住教は、同じく岡山県に本部がある金光教などとともに「教派神道十三派」と呼ばれ、教義を持ち、教祖が存在する宗教法人です。
徳永 黒住教の教えにはどのような特徴がありますか。
黒住 最も大切にしている教えとして、「御七カ条(ごしちかじょう)」というものがあります。私の先祖である黒住宗忠が「より立派な人間になるため」に、自らの人生の指針として作られたもので、私は道徳的な側面が強いと思っています。
神秘的な「尊い教え」によって人を導いていく宗教が多い中で、黒住教はもっと生活に近く、よく生きるための教えです。昔の人たちはそれを「お道」と呼びました。あくまでも道が先にあり、組織や団体が後に出来上がった。だから、黒住教では「信者」ではなく「お道づれ」と呼びます。
徳永 江戸時代から岡山が拠点なのでしょうか。
黒住 はい、黒住家は代々、岡山市内の今村宮という神社に奉職してきた家です。今村宮は、岡山城を拠点とした池田藩主一族の守護神社(お寺で言えば菩提寺に相当する)です。
徳永 もともと神職だった黒住家が、どうして新たな宗派を興したのですか。
黒住 教祖の黒住宗忠は、両親から「毎日、お日様に感謝して暮らしなさい」と教わってきました。その両親が相次いで流行病で亡くなると、悲しみから徐々に気力を失い、とうとう宗忠自身も結核を患ってしまいます。どうにか心身ともに回復した後、太陽に向かって感謝の祈りを捧げた際、下腹部に天照大御神の分心がおさまって、悟りを得られた。これが黒住教で言う立教の瞬間です。
その後、「悟りを得た存在にぜひ話を聞きたい」と人が集まり、今でいう講演会のような場ができました。興味深いのはそこに来ていた人々です。他宗派の僧侶や支配階級である武士だけでなく、女性や子供も集まったそうです。江戸時代は厳しい身分制度があった時代ですが、宗忠はどんな立場の人にも分け隔てなく教えを説きました。
宗忠の没後、弟子たちが京都や西日本を中心に布教を始めていきます。地域に根差していた信仰が、次第に外へと広がっていく流れですね。その教えは、庶民だけではなくて、孝明天皇や公家など、当時の支配階層にも届いていきました。
徳永 時代が下って明治時代以降、いわゆる「国家神道」政策が進みましたが、黒住教はどうなったのですか。
黒住 明治新政府は太陽神である天照大御神を天皇家の祖神として祀ることで、国民統合を図りました。一方、宗忠にとって太陽とは、すべての命を育む親のような存在でした。こうした解釈の違いから、政府は黒住教に対し、「神道と名乗り祭祀中心の活動に徹するか」、あるいは「教祖の教えを守って“諸派の宗教団体”として歩むか」の二択を提示しました。そこで後者を選び、「神道黒住派」から「黒住教」に改名、以後政府からの弾圧はなかったと聞いています。
むしろ、国粋主義的な宗教学者や国学者の中には、黒住教を前向きに評価する人もいました。例えば、伊勢神宮外宮の神職足代弘訓は「神道の祈りの大元は伊勢神宮にあり、教えの大元は備前の中野(黒住教のこと)にあり」と語ったと記録にあります。他にも、東郷平八郎が宗忠の詠んだ短歌を吟じながら、日露海戦の指揮をとったという逸話が言い伝えられています。
なぜ宗教は掛け持ちできないのか
徳永 少し意地の悪い質問をしますが、宗教組織はいわば「会員制サブスクリプション型」のビジネスモデルを前提に拡張してきたように思えます。会員数が増えれば、供養や祈祷の依頼が増えて収入も増えますが、そうしたモデルは少子高齢化を背景に限界を迎えているのではないですか。ビジネスで言えば、既存顧客が減少し、新規事業を立ち上げなければならない状況ですよね。
黒住 たしかに今の黒住教のお道づれは、「実家の宗教が黒住教」という方々が多数です。あえてビジネス用語風に言うなら既存ユーザーでしょう。一方、宗教の役割を問い直していくうえでは新規ユーザー、つまり「新たに学びを求めに来る人」が必要です。
徳永 リブランディングというか、顧客層の裾野を広げたいわけですね。
黒住 その通りです。おおむね同じくらいの歴史がある天理教さんや金光教さんは、組織としての規模が大きいので、まだ時間的な猶予がある。黒住教はもっと規模が小さいので、今まさに危機に直面していると言っても過言ではありません。
宗教に対するアレルギーや警戒心は日本社会の中に根強く存在していますが、私たちは、お道づれとしての誇りは大事にしながら、関係人口や交流人口を増やしていく努力をしなければならないと考えています。
ただ、その時に壁になるのが、現在の宗教界では当然視されている「掛け持ち禁止」の構造です。かつては、一人の人間が当然のように複数の神社仏閣にお参りしていました。そもそも江戸時代には神仏習合が進んでいて、神社とお寺の違いもあまり明確には意識されていなかった。それがこの百年ぐらいの間に、特定の教団に所属する信仰スタイルが定着しました。
実社会を見ると、学校でのサークルの掛け持ちは普通だし、職場でも副業が認められつつあるのに、宗教界には閉じられた「単一依存型」の構造が残っている。もちろん、現代でも神社とお寺の両方にお参りする人は珍しくありませんし、全国の神社の氏子とお寺の檀家の人数をすべて足せば日本の人口を優に超えるとも言われます。ですが、意識的に帰属する対象としては、茶道の家元制度と同様、宗教法人は掛け持ちが難しいイメージがあります。
徳永 Spotifyを契約しながらApple Musicにも課金する必要はない、という感覚に似ているでしょうか。宗教を信じる人の立場から見ると、複数の教えを同時に受け入れることへの心理的・思想的ハードルは高いようにも思います。
黒住 受け入れる側の事情を無視して、「複数の信仰を併せ持つことは可能です」と一方的に主張すれば、むしろ信仰の本質を矮小化することにもつながりかねないでしょう。ただ、先にお話しした通り、黒住教が生まれた江戸後期の日本には、僧侶を含めた様々な立場の人々が宗忠のもとに集い教えを共有する「開かれた空間」が存在したのも事実です。
「金儲け」ではない経済的自立を模索
徳永 地域の方々や若い人への間口を広げる努力をされている中、そうした「門戸開放」に成功すれば、教団の持続的な経営に資すると思いますか?
黒住 現在多くのビジネスが、緩やかに顧客との接点を広げていくモデルへと移行しています。同じように、人々が特定の教団に強い帰属意識を持たなくても、ご縁のあった場所を「心の拠りどころ」として気軽に感じてもらえれば。それは一人ひとりの「よりよく生きる」ことにもつながるのではないでしょうか。
黒住教では現在、生け花に因んだ企画や音楽コンサートなど、普段は参拝の機会がない方々にも足を運んでいただく新たな機会を作っています。直近では岡山県と連携して、映画づくりを通じた地域活性化事業の実行委員長を私が務めました。西日本豪雨災害の復興支援事業も主宰し、地域の方から一定の評価を頂いたと思います。
こうした取り組みは、これまでのお道づれの方々との関係を軽視するものではありませんが、会費やお供えのみに依存した運営には限界があります。とはいえ、宗教法人が収益を上げることに対しては、いまだ社会的な抵抗感が残っています。宗教の純粋性を守るために経済的自立を目指したとしても、伝え方を誤れば「金儲けに走った」と受け取られる可能性もある。
本来、宗教活動は利益を目的とする営みではないからこそ、別の分野で収益を確保し、経済的に自立した状態をつくることが理想ではないでしょうか。例えば、霊苑事業やブライダル、文化振興、地域活性化など、信仰と社会性が結びつく領域であれば、社会からの理解も得やすいかもしれません。
積極的な縮小=本質を問い直す「精神的なダイエット」
徳永 「宗教」という言葉自体、明治期にreligionの訳語として使われるようになったものであり、これまでのお話を聞いていると、そうした近代の欧米由来の概念の限界も感じます。黒住教は、これからどのように社会と接点を作っていこうとお考えでしょうか。
黒住 難しい問いですが、あえて言うならば「積極的な縮小」でしょうか。理にかなったコンパクトさを目指したい。単に信者の数を増やせばいいという考えを改める時期に来ていると思います。
地域社会との日常的な交流を重ねていけば、強い帰属を伴わない、ゆるやかな信仰の循環が生まれます。そうした関係の広がりは、社会を支える力にもなるのではないでしょうか。宗教は、問題が起きてから対処するのではなく、予防のような形で社会を支える役割を果たすことが望ましい。悲しみや悩みを抱える人の状況に寄り添いながら教えを伝えられたとき、その言葉は初めて生きた言葉として届くのだと思います。
そのためには、新しいものを次々と付け加えるよりも、原点に立ち返ることが大切だと考えています。ただし、単に過去に戻るのではなく、これまでの蓄積の中にある、見落としてきた大切な要素を掘り起こしたいですね。
徳永 宗教だけでなく、伝統文化や社会全体にも当てはまる話だと思います。もともと口伝だったものが、近代になって紙媒体などに記録され、やがてマニュアル化される。そしていつからか「守るべき形式」になっていく。組織に余裕が生まれると、本質とは関係のない取り組みも増えていきます。
仮に時代が変わって形式を維持できなくなったとしても、本質まで失われるとは限らない。むしろ、人口減少で従来の形式を漫然と踏襲することが難しくなった今こそ、「何が本質だったのか」を問い直す時期かもしれません。
黒住 おっしゃる通りです。私は「精神的なダイエット」が必要な時代だと思っています。戦後の高度経済成長を経て社会の基盤を築いてきた先人たちの努力には、本当に敬意を感じます。しかし同時に、成功体験によって生まれる「自分たちはうまくいっている」という感覚が、組織の中で前例踏襲主義につながることもあります。
黒住教もお道づれが増えて教団運営が安定する時代を経験しましたが、その時々の成功方法が固定化されてしまうと危うい。日本人を教祖とする最も古い宗教教団として、率先して課題と向き合い、前向きな変革や再定義を試みたいと思います。
徳永 素敵なお話をありがとうございました。