イラン戦争による燃料高騰で独メルツ政権が抱え込んだ「閣内対立」

執筆者:熊谷徹 2026年4月15日
タグ: ドイツ
エリア: ヨーロッパ
メルツ首相は燃料のエネルギー税の引き下げを発表した[記者会見するメルツ首相](C)AFP=時事

 イラン戦争の影響が波及したガソリン価格の高騰が、ドイツのメルツ政権に深刻な不協和音を引き起こした。保守党に属する経済エネルギー大臣が、リベラル政党に属する財務大臣を公然と批判して、首相に「一喝」されたのだ。

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 ドイツ市民の間には、毎日車で通勤する人が少なくない。2025年に連邦統計庁が発表した統計によると、通勤者の約65%が毎日自宅と職場の間を車で往復している。それだけにイラン戦争によってガソリンやディーゼルエンジン用の軽油の価格が高騰したことは、多くの市民にとって頭痛の種だ。

ディーゼル用軽油価格が40%上昇

 北ドイツ放送協会(NDR)の統計によると、軽油1リットルの価格は、イラン戦争が始まる前日の2月27日には1.75ユーロ(327円・1ユーロ=187円換算)だったが、4月7日には40%上昇して2.45ユーロ(458円)となった。ガソリン(スーパー。日本のレギュラーガソリンに相当)も、同時期に1.83ユーロ(342円)から2.24ユーロ(419円)に22.4%増えた。

 ドイツはガソリン価格が欧州で最も高い国の一つだ。連邦統計庁によると、4月6日の時点でドイツのガソリン(スーパー)の1リットルの価格は2.24ユーロだった。EU(欧州連合)加盟国27カ国の中で、オランダとデンマークに次いで3番目の高さである。ドイツでは、給油所の燃料価格が1日に20回から50回変更されるケースが報告された。

 ドイツ政府は4月1日に新しい法律を施行させ、給油所の燃料価格の変更を1日に1回、正午だけに限った。だがこの措置は価格の引き下げにつながらなかった。逆に4月6日までの1週間にガソリン価格は、約5%上昇した。消費者や野党からは、オーストリアやイタリアが実施したような、燃料に課されているエネルギー税の引き下げを求める声が強まった。

ミュンヘンの給油所では軽油とガソリンの1リットル当たりの価格が2ユーロを超えている(4月11日、筆者撮影)

燃料のエネルギー税の引き下げを発表

 このため4月13日、メルツ政権は2カ月間にわたりガソリンと軽油にかけられているエネルギー税を1リットル当たり17セント引き下げると発表した。現在ガソリンのエネルギー税率は65.45セント、軽油では47.04セントである。メルツ首相は、ベルリンでの記者会見で「この措置によって消費者の負担を16億ユーロ(2992億円)減らす」と述べた。さらにメルツ政権は、企業経営者が社員に最大1000ユーロ(18万7000円)の「エネルギー費用負担軽減ボーナス」を支払うことを可能にする。このボーナスからは所得税や社会保険料は差し引かれない。その財源は、2026年末までに煙草税の税率を引き上げることによって確保する。メルツ政権はこの政策によって、消費者の可処分所得を守るための具体的な措置をようやく打ち出した。

経済エネルギー大臣が財務大臣の提案を公に批判

 だがこの発表に至る過程で、メルツ政権は激震を経験した。政府が燃料市場に直接介入するべきかどうかをめぐって、2人の閣僚が公に対立したのだ。

 その発端は、大連立政権の一党・社会民主党(SPD)の提案だった。同党の共同党首ラルス・クリングバイル財務大臣(副首相)は、4月に入ってから、3つの対策を打ち出した。それは燃料価格の高騰によって偶発的収益を得ている燃料販売企業への臨時課税(ウインドフォール・タックス)、エネルギー税の引き下げ、ガソリンと軽油の価格への上限設定である。大連立政権がイラン戦争開始から1カ月以上も有効な対策を取らないでいる中、SPDは、政府が市場に直接介入して、庶民の負担を減らすべきだという態度を打ち出したのだ。

 だがメルツ首相と同じキリスト教民主同盟(CDU)に属するカテリーナ・ライヒェ経済エネルギー大臣は4月10日、複数の放送局のビデオカメラの前で、クリングバイル財務大臣の提案をこき下ろした。

 ライヒェ大臣は「連立政権のパートナー(筆者註:SPDのこと)の提案は、多額の費用がかかり、効果が弱く、憲法に照らして問題がある。たとえば私は偶発的収益への臨時課税に反対する。このような時期に、新しい税金によって石油関連企業の体力を弱めることには意味がない」と発言。さらに「政策というものは経済的に意味があり、目標の達成に貢献しなくてはならない」と付け加えた。つまり経済エネルギー大臣が「SPDの政策は経済的に無意味だ」と公に批判したことになる。

 ライヒェ大臣は、ドイツの大手電力会社エーオンの子会社である配電事業者ヴェスト・エナジーの社長を務めた経験がある。エネルギー業界に近い政治家であり、政府が企業経営に直接介入して収益を減らすような政策について批判的である。

 CDUとSPDの政策が対立することは、珍しくない。大臣の間の意見の対立は通常、表に出されずに、根回しや閣内での調整・協議によって解決される。だがライヒェ大臣は、閣内の副首相のエネルギー対策を、メディアの前で批判してしまった。内閣の足並みの乱れが世間に対して暴露された。

メルツ首相から「叱責」されたライヒェ経済エネルギー大臣(経済エネルギー省・広報課HPより)

メルツ首相もルール違反に怒り

 ライヒェ大臣の発言はSPDだけではなく、メルツ首相をも怒らせた。メルツ氏はライヒェ経済エネルギー大臣とクリングバイル財務大臣に、協力し合って政府として一本化したエネルギー政策を打ち出すように命じていたからだ。つまりライヒェ大臣は、ルール違反を犯した。このためメルツ氏はメディアに対し政府関係者の「メルツ首相は閣僚が公に他の閣僚の意見を批判していることに奇異の念を抱いている。メルツ氏はライヒェ大臣に対し、言動を慎むよう伝えた」というコメントを流させた。

 筆者はこのコメントを読んで驚いた。首相が閣僚を叱責したかのような内幕を報じさせるのは、異例だ。普通首相が閣僚の振る舞いに腹を立てて批判しても、その内容は表に出ない。ライヒェ大臣の面目はつぶされた。

 これは企業で言えばAbmahnung(社員の不適切な振る舞いに対する経営側の正式な警告)だ。ドイツ企業では、通常この警告が2回重なると、社員が解雇されることが多い。ライヒェ大臣については、重要な任務である電力市場の改革が遅れている他、経済エネルギー省内での意思の疎通が悪く、政策を第三者に説明するコミュニケーションが下手だという批判が強まっていた。SPDだけではなく、CDUからもライヒェ大臣の辞任を求める声がある。筆者もライヒェ大臣は、前任者のオラフ・ショルツ政権で経済気候保護大臣だったロベルト・ハーベック氏に比べて、対外発信力が劣るという印象を持っていた。

 メルツ首相が4月13日に燃料にかかるエネルギー税の引き下げを発表したことで、今回露呈した閣内対立ではクリングバイル財務大臣に軍配が上がり、ライヒェ大臣は「敗北」した。

 現在ドイツの論壇では、「閣僚が他の閣僚をメディアの前で公に批判している。これは2024年11月6日に崩壊した、SPD、緑の党、自由民主党(FDP)の三党連立政権の末期に似ている」という見方が流れている。

 今年後半からメルツ政権は、公的年金制度と公的健康保険制度の抜本的な改革による建て直しという、難題に取り組まなくてはならない。ゲアハルト・シュレーダー政権(1998年~2005年)以来の大改革になる。これまでに経済学者たちが提案している措置は、医薬品の自己負担額の増加や健保のカバー範囲の削減などにより、国民にとって痛みを伴う。特にSPDの支持基盤の一つである労働組合にとって、受け入れがたい提案が数多く取り沙汰されている。

 社会保障制度の改革法案の法制化の過程では、CDU・CSU(キリスト教社会同盟)とSPDの間で政策の慎重な摺り合わせが必要だ。しかし今回露呈したライヒェ大臣とクリングバイル大臣の対立は、大連立政権の将来の政策運営の難しさを暗示している。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
熊谷徹(くまがいとおる) 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。
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