やっぱり残るは食欲
やっぱり残るは食欲

蒸す蒸す蒸す

執筆者:阿川佐和子 2026年4月14日
タグ: 日本
エリア: アジア
竹の香りのする大きなセイロで蒸すことが大事だ(写真はイメージです)

 野菜料理がおいしいと評判の店に行った。親しくしている八百屋さんから新鮮な野菜が毎日のように届くそうだ。それらを使ってシェフは清々しいほどシンプルで心のこもった料理を供してくれた。

 大根のすり流し。ふきのとう風味の胡麻豆腐。小さなセイロに入った蒸し野菜の数々。味噌やタレや塩につけて自由に食べられる形式になっていた。

 当日、私は珍しく胃の調子が悪かった。その晩の会食に出かけるのを躊躇した。ご馳走を食べられる自信がない。キャンセルしようか。しかし土壇場で欠席を申し出るのは憚られる。とりあえずその店へ行って体調の優れないことを告げ、少しだけご相伴にあずかって帰ってくることにしよう。

 意を決してテーブルについたところ、次々に現れる料理がいずれも鼻にかぐわしく目に麗しく口に愛おしく、そして胃に優しい。調子が悪いと思っていた胃袋がどんどん受け入れ態勢を整え始めた。そして私の背筋はしだいに伸び、活力が湧いてきた。

 もちろんコースの間には、肉も魚も混ざっていたが、圧倒的な印象としては、「野菜をたっぷり身体に取り入れた」気分だった。

 すぐに感化されるタチである。家に帰ってさっそく真似してみることにした。

 まず、セイロを出す。昔、台湾を旅した折に購入した竹製のセイロである。直径二十七センチほどで三段重ね。持ち帰るには荷物になる。トランクにも入らない。でも欲しかった。結果、三段重ねのセイロをヒモで結わいつけ、両手に抱えて機内へ持ち込んだ。その姿は我ながら、台湾から日本へ行商に行くおばさんのようだった。

 苦労して持ち帰ったセイロはたしかに重宝した。同じ旅で買い込んだ銀糸饅頭を蒸すときも、シュウマイや肉まんを蒸すときも、おおいに役立った。しかし、しばらく使ううち、やっかいな問題が生じた。大きすぎて食器棚に入らない。壁に吊すのも難しい。毎日、使うわけではないので、台所の片隅に置いておくと、なにかにつけて邪魔になる。

 少量のものを蒸そうとするときは、手近な片手鍋に水を張り、脚のついたシリコン製やステンレス製の簡易スチーマーをおいて蓋をすれば、それで事足りる。わざわざ台湾のセイロがちょうど収まる重い中華鍋を取り出して、その上に大きな竹製セイロを置くという手間をかけなくてもじゅうぶんだ。そう思うとつい、台湾セイロから心と手が遠のいた。

 こうして台湾セイロは少しずつ追いやられ(追いやったのは私だが)、台所のいちばん上の棚に無理やり突っ込まれ(突っ込んだのも私だが)、長らくその姿を潜めていた。

カテゴリ: カルチャー
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
阿川佐和子(あがわさわこ) 1953年東京生まれ。報道番組のキャスターを務めた後に渡米。帰国後、エッセイスト、小説家として活躍。『ああ言えばこう食う』(集英社、檀ふみとの共著)で講談社エッセイ賞、『ウメ子』(小学館)で坪田譲治文学賞、『婚約のあとで』(新潮社)で島清恋愛文学賞を受賞。他に『うからはらから』、『レシピの役には立ちません』(ともに新潮社)、『正義のセ』(KADOKAWA)、『聞く力』(文藝春秋)など。
新潮Xへの統合について
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top