「近代=西洋」に絶望した日本人が、今こそ読むべき思想家

渡辺京二『私の明治時代史』(新潮選書)

執筆者:先崎彰容 2026年4月7日
タグ: 日本
エリア: アジア
渡辺京二は終生在野精神を貫いて筆をとり、まさに「民間」の立場から、近代=西洋に対抗する思想、反近代の立脚点を模索しつづけた[渡辺が興味を持ち続けた「神風連の乱」を描いた熊本暴動賊魁討死之図](写真はWikimedia commonsから)

 

 西洋がリードしてきた近代社会が、音を立てて崩壊しようとしている。明治維新以来、西洋文明に準拠して生きてきた私たち日本人は、これから何を基軸にして社会を構想していけば良いのか。

 批評家の先崎彰容さんが、今こそ読むべき思想家として挙げているのが、渡辺京二(1930~2022)である。反近代=反西洋の立場から、アジアのあり方を問い続けてきた思想家を読む意味はどこにあるのか。

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模擬試験で出会った思想家

 私が「渡辺京二」という名前を知ったのは、おそらく三十年以上も前の現代文の模擬試験である。受験勉強という、閉塞した空間の中で、私は青春の力を持て余していた。友人たちと談笑していても、心の底から笑えない。合否という骨が喉の奥に刺さっていて、晴朗な気分を持つことができなかった。そんな折、夥しい数を解かされる現代文の文章に、心をときめかすものがいくつかあった。試験の最中でも、一読、面白いと思った文章の場合、文末に著者名と作品名が書いてあるのを心に留めていた。そこに渡辺京二という名前があり、私の記憶のなかに残り続けたのである。

 大学入学後、私ははれて自由の身となった。もう、何をしてもよいし、何を読んでもよかった。猛然と読書をはじめた。三島由紀夫や太宰治は、すでに高校一年生の時に読破していた。だから大学生になると評論に手をだし、桶谷秀昭『近代の奈落』、村上一郎『北一輝論』、橋川文三『日本浪曼派批判序説』、磯田光一『萩原朔太郎』、西部邁『経済倫理学序説』などをむさぼり読んだ。その中には当然、渡辺京二の著作もあった。『逝きし世の面影』などで、爆発的に注目されるずっと前、1990年代後半のことである。

近代・文明・アジアという課題

 しかし正確に言えば、私は「何を読んでもよかった」という自由を謳歌しなかった。90年代後半の東大と言えば、フランス現代思想が花盛りの時代であり、そこから派生したグローバル化礼賛の時代だったからである。国境や国家は乗り越えられるべきものであり、「日本」に固執することなど、言語道断であるとされていた。友人たちの口から出てくるのは、デリダであり、フーコーであり、柄谷行人であり、後に総長に君臨する蓮實重彦氏の名前であった。だから先に挙げた本を読んでいる私は、完全に論外であり、思想の最先端から早々に離脱した落伍者とみなされた。坐禅を組み、古本を手にして、あまつさえ「日本思想」などに固執する者は、ダサい人間であり顧みもされなかったのである。

 私自身も、自分がなぜ、流行思想を振り回さないのか、理由はよくわからなかった。ただ、一つだけ確信していたのは、大学に入学し急に本を読んだわけではなく、高校時代以来、一貫した現実社会への違和感があり、それを言葉にしてくれている本だけを、読もうと思っていたことだ。私はすでに、高校一年生の時に、生徒公募論文なる学校主催のイベントに、「私釈・西郷隆盛」という原稿用紙50枚の論文を書いて、小さな賞をもらっていた。当時、15歳の少年には、渡辺京二が西郷隆盛に並々ならぬ思いを抱いていたことなど、知るよしもない。だが大学入学の三年前、すでに渡辺京二に出会う素地は、できあがっていたのである。

 大学入学後の私を襲っていたのは、今、自分が生きている社会への、強烈な違和感だった。それは大学受験からの解放くらいでは解消されず、私の心身を苦しめた。その渦中で、先に挙げた著作を読みふけった。そこには、「近代」への激しい懐疑があり、「文明」とは何か、また日本を含めた「アジア」とは何かという問いがあった。そしてこの近代・文明・アジアこそ、渡辺京二が生涯にわたり取り組んだ課題そのものだったのである。

資本主義の成立と「近代」の始まり

 だから今回、『私の明治時代史』を繙いたとき、その章立てに「神風連の乱」と「大アジア主義」、「頭山満」の名前を見出して、当然のことだと思った。ところが一方で、冒頭第一回を「地租改正」に当てていることに、意外の感をもった。よく読んでみると、封建制を廃止し中央集権化を進める過程において、どう財源を確保するのかは喫緊の課題だと書いてある。年貢の名目もバラバラで、しきたりも違う状態から、統一的な租税制度をつくる必要があった。博学の渡辺京二らしいのは、地租改正を説明する際、英仏の資本主義の形成過程と比較検討した点にあって、農民が土地から離れ、流浪し、都会で資本主義を支える産業基盤の労働者になることに注目せねばならない。これを「資本の原始的蓄積」と呼ぶ。日本の場合、秩禄処分によって武士のサラリーを廃止し、そのうえで、起業した武士が失敗すると労働者に転落し、資本主義の養分になる。同時に断行した地租改正は、「土地の私有財産化」を認めることであり、これまた資本主義の特徴の一つであると言えるだろう。

 つまり、渡辺は、資本主義の成立に「近代」をみている。そして地租改正を急ぐ大久保利通に対し、「西郷さんは『土地を共有にせねばならない』という一種の農業コミューン的な志向を心に抱いていたと思います」(54頁)というのだ。土地を売買できるとは、Aの土地とBの土地は等価交換できるという思想である。だがもし、私にとって亡くなった父が大切にしていた土地がAならば、Bと絶対に交換することはできないだろう。なぜなら土地には記憶が蓄積されているからだ。これを渡辺は「風景」と呼ぶ。渡辺は、地租改正という金にまつわる話からはじめることで、結果的に、「近代」とは何かを定義し、その近代を超克するために「風景」という思想を明示してみせたのである。

近代=西洋に対抗する思想

 こう理解して読み進めると、渡辺が「神風連の乱」や「大アジア主義」に興味を持ち続けた理由がわかってくる。例えば、外交史の古典的名著である『日本の外交』(中公新書)のなかで、入江昭は、明治以降の日本外交の最大の特徴は、「抽象的な思想の欠如」であると喝破した。明治新政府はその時々の国際関係に受動的に対応しただけであり、外交理念を掲げたことはなかったというのである。

 しかし唯一、理念があったとすれば、「民間の一部は外交を道徳的にとらえ、日本が欧米にならって大国ぶるのはもってのほかだとし、むしろ日本は率先してアジアの指導者となって、西洋に対峙すべきだと主張した」と言っている。この入江の指摘は、はからずも、渡辺の思想家としての立ち位置を教えてくれる。渡辺は終生、在野精神を貫いて筆をとっていたのであり、まさに「民間」の立場から、近代=西洋に対抗する思想、反近代の立脚点を模索しつづけた。国内においては神風連の乱を発見し、外交においては大アジアを発見し、その象徴的人物として、西郷隆盛と頭山満に思いを寄せていたのだ。

西郷隆盛と福沢諭吉の関係

 例えば、次のような文章は、渡辺の思想家としての立ち位置を明瞭に示すものであるだろう。『維新の夢』(ちくま学芸文庫)所収の論文「死者の国からの革命家」において、渡辺は次のように言っている。

「文化大革命への共感は、四十年代に流行した近代批判の風潮の一面であって、高度成長批判としてのエコロジー的文明批判、さらには第三世界的なアジア志向につながっていた。西郷は人民主義的革命家として復権されただけではない。大アジア主義者として見直されたので、つまり福沢の「脱亜論」への悪評が深まるちょうどその度合だけ、あのふるめかしい『西郷南洲遺訓』の値が吊り上がったのである。」

 戦前と戦後が交錯する文章なので、丁寧に説明しておく必要があるだろう。昭和四十年代、つまり1960年代後半は、戦後の高度経済成長が成功を収めつつあった。その際、急激すぎる近代化は、公害問題を軽視しアメリカ文明を絶対善として疑わない国づくりに邁進することを意味した。そんな折、アメリカ文明の生き方とは異なる生のかたちを指し示すものとして魅力を増したのが、まずは文化大革命の国・中国である。それはアジアの言いかえと言ってもよく、日本国内でいえば、西郷隆盛が象徴的人物である。戦前で言えば、アメリカ文明にあたるのは福澤諭吉『文明論之概略』に書かれた近代化路線であり、それに対抗するかたちで、西郷の『南洲翁遺訓』の評価があがりはじめたのだ――。

政治における「純粋性」

 こうした反近代=反文明の立場への共感を、渡辺は隠さなかった。その言葉は、たとえば次のようなある種の魔術的な魅力を、本書のなかで垣間見させることになるだろう。神風連に対する評価をめぐり、「あいつらは絶対挙兵したいのです。その理由は政治的な計算ではなく、要するにこの世に生き残りたくないのです」(87頁)という、突き詰められたものにまでなってゆく。ここで渡辺が見出しているのは、政治における「純粋性」という問題である。

 よく知られているように、晩年の三島由紀夫は右傾化の過程において、二・二六事件の青年将校や、神風連の乱への思慕を隠さなくなった。「文化防衛論」「英霊の聲」などの文章には、彼らの政治的純粋性を、なぜ天皇が受け入れないのか、人間宣言とは最大の彼らへの裏切りではないかという文章がある。これに対して、政治思想史家の橋川文三が「美の論理と政治の論理」において反論したことは知られている。結局、ここで橋川が言いたかったことは、政治の世界に、自分の心情の純粋性を持ち込むことは間違っており、政治は悪を飲み下すことであり、不純を飼いならすことで、最終的に国民を死に至らしめないことだという論理だった。

 恐らく、渡辺京二を、令和日本に読む意味があるとすれば、この「純粋性」をめぐる議論になると思う。今、日本人は、汚辱に満ち溢れた令和の世相を嫌っている。だとすれば、一体、私たちは「近代」を寿いでいればすむのか。もし、すまないとすれば、ではどうやって反近代的であり得るのか――これが渡辺京二からの宿題である。

渡辺京二『私の明治時代史』(新潮選書)
  • ◎先崎彰容(せんざき・あきなか)

1975年、東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒。東北大学大学院文学研究科博士課程を修了、フランス社会科学高等研究院に留学。現在、社会構想大学院大学教授。専門は倫理学、思想史。主な著書に『ナショナリズムの復権』『違和感の正体』『未完の西郷隆盛』『維新と敗戦』『バッシング論』『国家の尊厳』『本居宣長』『知性の復権』 など。

  • ◎渡辺京二(わたなべ・きょうじ)

1930年京都生まれ。大連一中、旧制第五高等学校文科を経て、法政大学社会学部卒業。日本近代史家。主な著書に『北一輝』(毎日出版文化賞)、『逝きし世の面影』(和辻哲郎文化賞)、『日本近世の起源』、『江戸という幻景』、『黒船前夜』(大佛次郎賞)、『未踏の野を過ぎて』、『もうひとつのこの世』、『万象の訪れ』、『幻影の明治』、『無名の人生』、『日本詩歌思出草』、『バテレンの世紀』(読売文学賞)、『小さきものの近代』他。2022年没。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
先崎彰容(せんざきあきなか) 1975年、東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒。東北大学大学院文学研究科博士課程を修了、フランス社会科学高等研究院に留学。現在、社会構想大学院大学教授。専門は倫理学、思想史。主な著書に『ナショナリズムの復権』『違和感の正体』『未完の西郷隆盛』『維新と敗戦』『バッシング論』『国家の尊厳』『本居宣長』『知性の復権』 など。
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