高市早苗首相が力を入れる「インテリジェンス機能の強化」。その目的達成のため、「国家情報会議設置法案」が国会で議論されている。
政府はさらに、スパイ防止関連法の制定や対外情報庁(仮称)の新設も目指している。
そんな大規模な改革に取り組むのであれば、この法案で情報機関改革の基礎固めをする必要がある。だが、法案の内容は粗雑過ぎ、対外情報庁を発足させる場合には、改めて法改正さえ必要になる可能性がある。
なぜ、このような内容になったのか。省庁間で「暗闘」があったため、法案作成が拙速で進められたからかもしれない。
警察庁VS.外務省・防衛省
最初に問題を提起したのは、安倍晋三元首相の信頼が厚く、外務事務次官から初代の国家安全保障局長を務めた谷内正太郎氏だ。
昨年12月16日に発表された有志らによる「我が国のインテリジェンス能力の抜本的強化に関する提言」は、座長の谷内氏が取りまとめた。
その作業には谷内氏ら元外交官の他、島田和久元防衛次官、吉田圭秀前統合幕僚長らが加わった。外務・防衛両省と自衛隊制服組の元トップが名を連ねた提言は、英国をモデルとする改革を主張しており、両省の立場を代表したとみていい。
これに対し、今年2月4日付『日経新聞』に兼原信克麗澤大学特任教授が「内調(内閣情報調査室)の抜本的強化が必要」だと強調する記事を寄稿した。なぜか、元上司・谷内氏の案に対抗しているようだ。
兼原氏は外交官で駐米公使などを経て内調次長、国際法局長のあと、国家安全保障局では谷内氏の下で次長を務めた。
内調はトップの内閣情報官以下、警察官僚が要職を固めている。
つまり、外務・防衛両省の連合軍と警察のターフバトル(turf battle、縄張り争い)のような動きがあった。
CIAの発足に反対したFBI
米国でも、1947年の国家安全保障法によって、軍人でもなく法執行機関の人材でもなく、文民で構成される情報機関、米中央情報局(CIA)が設置された。その際連邦捜査局(FBI)のエドガー・フーバー長官が猛反対したことはよく知られている。
当時中南米はFBIの縄張りで仕切られ、情報も集積していた。しかし、CIAにこれら文書を引き継ぐことなく、FBIは中南米から引き揚げ、CIA側は激怒したと言われる。
2001年の米中枢同時テロの前、CIAもFBIも国際テロ組織アルカイダの実行犯が米国内に侵入していたことを知っていたが、両機関の連携がスムースではなくテロを防げなかった。このため、ジョージ・ブッシュ大統領(子)は2004年の米情報機関改革法でインテリジェンス・コミュニティを統括する国家情報長官(DNI)とその事務局を新たに設置した。
情報機関の間の情報共有と協力関係の強化を図るためだ。情報先進国でもそうした問題が課題になっているのだ。
「英国モデル」対「国家情報局」
日本では、今回の法案提出で、谷内氏らの提言は日の目を見なかった。高市首相は政府内でとりわけ政治力が強力な警察派の主張に軍配を上げた、と言えるかもしれない。
谷内案は情報能力の強化について、日本と同じ議院内閣制の政治体制で、優れたインテリジェンス能力を持つ「英国をモデルに」と主張。対外情報機関の創設に当たっては、英国の対外情報機関MI6(秘密情報部)を「参考として制度設計」するよう提案している。つまり日本の新対外情報機関も外務省の組織下に置くことにすべきだ、という提案のようだ。
谷内氏は日経新聞との昨年12月25日のインタビューでは「MI6は外相のもとにあり、もし不祥事などが起きたときは、外相の責任になる。首相の責任にはならない」とも語っている。
また、今度の法案の「国家情報局」について、国家安全保障局との「すみ分けが不透明だ」と懸念を表明している。
これに対して、兼原氏は収集した情報を「内調に集中させ、全省庁の情報を総合して分析することが必要」である、と主張している。 高市首相は明らかに後者を採用した。その結果、法案では、情報機関名は内調とそのトップの内閣情報官を発展的に解消して発足する「国家情報局」と「国家情報会議」の二つしか出てこないのだ。
その他の情報機関は士気低下
こうして国家情報局は明らかに警察主導になるだろう。国家情報局の「カウンター・インテリジェンス(防諜)」機能を重視するのならそれでもかまわない。例えば、中国人のスパイを逮捕するといった仕事は警察の本来の任務だからだ。
しかし、国家情報局に外交・安全保障・防衛などのインテリジェンス活動も求めるのであれば、「その他」情報機関である防衛省の情報本部や外務省の国際情報統括官組織、さらに法務省の公安調査庁などの知識と分析能力も必要になるだろう。
しかし、法案にこれら3情報機関の名前が出てこないということになると、これら機関は議論に加わることもなく、国家情報局に情報文書を提出したり、国家情報会議に適宜出席したりする程度の貢献になるだろう。
その結果、国家情報局の枠外に置かれた情報機関は士気が落ちる恐れがある。かつて小泉純一郎首相は内調よりも公安調査庁を重用し、当時の内調室長より公安調査庁長官との面会の方が多くなり、内調は士気が落ち、公安調査庁の士気が上がったことがあった。本来は情報コミュニティ全体の士気を上げることが望ましい。
分析官増員・情報共有の課題をどうする
今法案では、「分析官が少ない」「各情報機関が情報の共有(シェア)をしない」といった日本の各情報機関が抱える重大な欠点を是正する対策が示されなかった。これらの課題は以前から米側が強く指摘してきた問題だ。
そうした課題に関連して、谷内氏らは、司令塔の機能を強化するため、現在の合同情報会議を、「合同情報委員会」に改組し、内閣情報官をその委員長として、各省の高官を委員とする、という提案をしている。
それによって「情報の収集・集約・分析・配布などを統括する責任を付与する」。そしてその司令塔の下に、民間からも採用する総合的な分析要員を大幅に増員するよう提案しているのだ。
国家情報会議と国家安全保障会議が重複
しかし法案は、こうした提案を無視した形で、国家情報会議の設置を掲げている。しかも、その議長を内閣総理大臣とし、議員に官房長官、国家公安委員長、法務大臣、外務大臣、防衛大臣ら現役の政治家で固めるというのだ。
その場合、国家情報会議の議長と、情報機関から情報を受け取る側の国家安全保障会議の議長はどちらも首相、すなわち全く同じ人物となる。両会議を構成する大臣たちも重複する。
そんなおかしな二重構造だけではない。
情報を検討するプロセスの最終段階で政治家が情報判断をする場合、危険が伴う場合が往々にしてあり得る。政治家は自分たちにとって必要と考える外交・安保政策を通すために、情報を歪める恐れがあるからだ。
政治家が情報を操る危険性
実際、米国では2003年のイラク戦争に先立ち、国防総省内でポール・ウルフォウィッツ国防副長官やダグラス・ファイス国防次官が「特別計画局(OSP)」と名付けた事務局を設置、CIAから得た生の情報を勝手に分析し、イラクの大量破壊兵器などに関する情報をでっちあげて、サダム・フセイン政権打倒の理由に掲げていたことが明らかになっている。
彼らはネオコンサーバティブ(新保守主義者)と呼ばれる政治グループで、このような手法で、最終的に米中枢同時多発テロをイラク戦争につなげたことが知られている。
専門知識を持つ有識者を国家情報会議に
日本政府がこの法案で設置を目指す国家情報会議に相当する会議体として、日本よりずっと進んだシステムを持つ英国では合同情報委員会(JIC)、米国では国家情報会議(NIC)がある。
JICは発足が戦前の1936年で、政府内の分析官らから成る合同情報局(JIO)の支援を受け、経験豊かな外務省、国防省などの上級官僚らで構成される。
NICは発足が1979年で、過去の議長には、ロバート・ゲーツ元国防長官やジョセフ・ナイ元ハーバード大学教授ら著名人がいる。それに加えて、東アジアや中東など地域別の専門家や軍事・科学技術などの分野別の専門家計10~18人の国家情報官(NIO)が情報機関から提出された情報文書を基に分析を進める。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』のエズラ・ボーゲル元ハーバード大学教授もNIOを務めたことがある。
日本も、大臣ではなく、専門知識を備えた有識者を国家情報会議の議員に選ぶべきだ。
経済安保関係者もコミュニティに
そして、インテリジェンス・コミュニティ全体でいかにして情報共有や協力を進めるか、といった課題にも取り組むべきだ。
欧米に比べると日本の情報機関は遅れているが、これまで部分的に重要な情報を入手したことはある。例えば、乗員・乗客計269人が死亡した1983年のソ連空軍戦闘機による大韓航空機撃墜事件では、ソ連機と地上基地との交信を自衛隊が傍受することに成功。録音は国連安全保障理事会で開示され、ソ連側の誤った行動が確認された。
こうした信号情報(SIGINT)や情報衛星による画像情報(IMINT)などと公開情報(OSINT)を合わせて分析することも今後、重要になるだろう。
その他、内調に出向者を派遣してきた海上保安庁のほか、金融庁、財務省関税局、経済産業省貿易経済安全保障局、出入国在留管理庁も経済安全保障の立場からコミュニティに含める必要があるだろう。分析官を養成することも必要になるかもしれない。
拙速ではできない課題
日本もCIAのような情報機関の創設を、と求める政治家は少なくない。しかしCIAが収集する情報は80%がOSINTであり、スパイが集める情報は20%程度でしかないことを心得るべきだ。
スパイが得た「諜報」は正しいとは限らない。意図的に間違った情報を掴まされる場合があり、真偽を見極める分析官の任務がそれだけ重要になる。
情報工作員の海外派遣は危険を伴う。養成に時間もかかる。安全確保のため、同時に防諜担当者も派遣する必要がある。分析官の養成も必要だ。拙速で進める課題ではない。時間をかけて研究する必要がある。
