中東地域のエネルギー産業はいま、二つの世界的なトレンドの中心にある。一つは2020年代から加速するエネルギー転換の流れである。世界各国は2020年から国内での二酸化炭素排出量を実質ゼロにする「ネットゼロ目標」を掲げ、クリーンエネルギーを導入するとともに脱炭素燃料であるクリーン水素の製造プロジェクトの立上げに腐心してきた。中東地域は潜在的な水素輸出国として期待される一方、グローバルな石油需給の減退がもたらす負の経済的影響に最も脆弱な地域となりうるなど、現時点で「勝者」とも「敗者」とも言えないアンビバレントな立場に置かれている。
そしてもう一つはエネルギー生産国をめぐる地域紛争の激化である。中東とロシアにおける二つの戦争はいずれも地域政治と国際秩序に衝撃をもたらし、エネルギー需給にも大きな影響を及ぼしてきた。2022年のロシアによるウクライナ侵攻は欧州のエネルギー安全保障への脅威認識をこれまでになく高め、エネルギー価格の高騰を通じて中東産油国へ経済的な恩恵をもたらした。他方で2023年のイスラエルによるガザ侵攻は中東地域秩序の転換点となったものの、サウジアラビアなどの湾岸産油国を直接に巻き込んでいないことから、エネルギー価格を高騰させるには至っていない。しかしながら、紅海におけるイエメンのフーシ派による船舶攻撃やイラン・イスラエル間のミサイル攻撃の応酬が、地域のエネルギー開発・輸送の不確実性を高めていることは間違いない。
現在進行形で進展するエネルギー転換と地域紛争がいかに中東地域のエネルギー産業を変革するかについて、現時点で確定的な評価を下すことはできない。しかし、地域各国は二つの流動的な変化に呼応し、エネルギー市場での立場や保有する経済的資源をもとに国際秩序における自国のパワーを拡大する、いわゆる「エネルギー地経学」戦略を展開しようとしている。
1. サウジアラビアとUAEのエネルギー多角化に向けた競争
サウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)は、中東諸国の中でもとりわけ機動的な地経学戦略を展開している。国営石油会社であるサウジアラムコとアブダビ国営石油会社(ADNOC)の幹部はいずれも、エネルギー生産国として石油を含む全てのエネルギー源の活用を目指すことを主張し、国内の化石資源開発のみならず、海外投資やクリーン水素の導入、AI(人工知能)の活用などの多岐にわたる分野へと競って意欲を示している。これらの取り組みを通じて、伝統的な産油国であるサウジアラビアとUAEは脱石油依存という経済的目標を追求するとともに、エネルギー市場を通じた自国の国際秩序における「地経学的パワー」をも維持・拡大しようとしている。その多角化の過程において、両国は資源開発の対象となる「アリーナ」から、グローバルなエネルギー開発の「アクター」へと変容し始めている。
■ブルーアンモニア生産目標を4分の1に引き下げたサウジ
両国が国内のクリーン水素開発と「水素外交」を推進してきたことは過去の拙稿で指摘してきたが
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