中国の急速な台頭が、地政学的な変動と経済の摩擦を引き起こしている。それが、すでに深刻化していた米国の国内矛盾をトランプ現象という形で表に引き出した側面は確かにある。中国の経済規模は、この10年でさらに倍増し、技術革新も進み、軍事力の増強も続き、外交も積極化し、その存在感は急速に増大している。今や、中国と世界、とりわけ米中の相互作用が、世界のこれからに重大な影響を及ぼす時代となった。
主役は米国だが、中国の動きにも目を離せない。ドナルド・トランプ大統領の国際ルール無視は続いている。米国の動きが習近平指導部の国際秩序観、軍事力の位置づけ、外交観にどのような戦略的修正を迫っているのであろうか。若しここに大きな修正が加えられれば、現在以上に厄介な隣国が登場することになる。今回はここを考えてみたい。
習近平路線が「経済」だけ手出しできない理由とは
2008年のリーマン・ショック以降、中国は自国の大国化を自覚し、押さえ込まれていた国粋主義的ナショナリズムが噴出し、自己主張の強い対外姿勢に転じた。これは国内派と国際派、政治・イデオロギー重視派と経済重視派の抗争で前者が勝利した結果だと言える。その帰結が2012年から作り上げられていく習近平路線であり、政治・イデオロギーと国家の安全を重視する国内派が牛耳る国政となって行った。中国の変化が、米国ひいては世界の中国観を変え、米中の対峙が国際政治の中心に座った。このように一見、中国は米国主導の国際秩序にノーを突きつけ、米国に対抗し世界を牛耳る超大国を目指して邁進しているように見える。
だが中国から見える自己像は異なる。中国共産党にとってのトップ・プライオリティは、一にかかって、共産党の統治の護持であり、そのための統治の正当性の確保である。この中国共産党の視点に立つと、習近平路線は「安全」に重点が移ったとは言え、その根底にあるのは「安定」の確保であることが分かる。国の統治や社会が不安定化すれば共産党の統治は行きづまり、国家は自壊し、国の「安全」以前の話となる。統治の正当性の確保も、社会の「安全」管理も、それが社会の「安定」のために必要な故に重要なのだ。
そして「安定」の何よりの基礎が経済であり、経済こそが国防の基礎でもある。習近平路線が進められる中で、経済以外の領域はすべて政治・イデオロギーが牛耳る中国となったが、経済はそうなっていない最大の理由がここにある。手をつけたくても手出しできない領域があるのだ。しかも、その経済は完全に世界経済に組み込まれている。かくして中国の対外姿勢を決める要因の中心に経済がドーンと座る構図が見えてくる。
それでも政治・イデオロギーと経済のロジックのせめぎ合いは、現在も続いている。だが経済には市場という現場があり、答は数字で瞬時に出てくる。その経済の現場は経済のロジックに従う。政治・イデオロギーの嵐の中で経済が生き残ることができたのは、胡錦濤時代まで続いた鄧小平路線が経済のロジックを重視する市場経済体制の基本を完成させ、しかも人類史上空前の奇跡の経済発展を成し遂げ、それが中国共産党の成功物語の根源的理由であると皆、分かっているからである。経済の不振は、そこを傷つけ、共産党の統治の正当性を揺るがす。
その奇跡の経済発展は、地域的な紛争はあったとは言え、長期にわたる世界の平和と自由貿易システムがあったからこそ可能となった。つまりわれわれの言う現行国際秩序が存在するから可能となったのである。それはルールに基づく多国間主義であり、国際協調であり、国連を中心とする政治社会秩序であり、WTO(世界貿易機関)を中心とする経済秩序であった。筆者の調査では、習近平政権も当初の現行国際秩序に対する懐疑的姿勢から、2017年以降、現行国際秩序護持に徐々に回帰している1。つまり単なるリップサービスや宣伝ではなく、現行国際秩序が中国にとり必要不可欠な存在であることを中国は明確に認識している2。この事実を先ず確認しておきたい。
友好国の危機に不介入では不満を抱く国内世論
その現行国際秩序を作り上げたのは米国であり、米国の積極的関与と強大な軍事力で平和を支え、巨大な国内市場を開放して各国の経済発展を支えた。ヒト、モノ、カネを出して支えてきたのだ。トランプ大統領は、それを壊し始めた。今年に入り軍事力による敵対政権の打倒に舵を切り、しかも対象は中国と関係の深いベネズエラとイランである。恫喝だけで済んだ昨年のパナマと、現在進行中のキューバを含めれば、米国の動きと中国との関係が急速に浮かび上がってくる。
この米国の動きに対し、現時点において中国は既定路線の延長線上で対応しており、大幅修正の動きはまだない。これまでの路線とは、簡単に言えば、口は出すが本格的な介入はしない、つまりヒト、モノ、カネは出し惜しみする、というものだ。ただ、そのような対応が国内の強い批判を招くことにも注意を払う必要がある。ベネズエラについては、中国が重視してきた国が、しかも中国の特使滞在中に米国から攻撃され大統領まで拉致されたのに何もしないのか、との声が上がった。米・イスラエルによるイラン攻撃に対する王毅外相の迅速な電話外交などの汗をかく動きは、国内の批判への対応でもあるし、BRICS及び上海協力機構のメンバーでもあるイランの重要性を示すものでもある。当初は3月末に予定されていたトランプ大統領の訪中の延期は、イラン攻撃中の受け入れは不可能という中国側の立場も影響しているとの見方は説得力を持つ。
イランが湾岸諸国を攻撃し始め、ホルムズ海峡を閉鎖すると、中国はさらに積極的に動き、イランにホルムズ海峡の自由航行を要求した。この対応は、単に石油の確保や中国経済に対する直接の影響を超えて、何よりも湾岸諸国経済、さらには世界経済に対する影響を心配したからである。世界経済が低迷すれば、中国経済は大きく下振れする。それが中国社会を不安定化させる。それこそが、中国の積極的関与の最大の理由と言って良い。
現に中国外交部スポ-クスマンも世界経済とネルギー安全保障への憂慮を表明し、湾岸諸国のエネルギーインフラの安全の保障を要求している。今回の一連の動きが、中国の今後の戦略と戦術の部分的修正の始まりと見ることも出来るが、全体像はまだ見えてこない3。
来年の中国共産党第21回党大会において2032年までの基本方針が決定される。そこで中国が中長期的な戦略に、どのような修正を加えたのかが分かる。再び内政の季節を迎え、党内議論の中心に「安定」の問題が座る。「安定」という視点から習近平路線が再吟味される可能性はある4。だが、この「安定」の問題に着目して中国の中長期戦略を予測すれば、根本的修正はなされないと想定するのが無難であろう。
中国のやり方は、事態を詳細に観察し徹底的に分析した上で戦略、戦術のバージョンアップを図るというものである。単に東アジアの米軍の存在が弱まったスキを突くかとか、米国の国際的地位と影響力の低下にどうつけ込むかといった次元の話ではない。中国は国際情勢の長期的な趨勢の見直しと、それを踏まえた中長期的な戦略の再構築を考えるはずだ。逆に言えば、ここの基本が決まらないと現在の具体的戦術の修正もできないというという体質を持つ。それが中国共産党の思考回路なのだ5。
米国のように振る舞うハードルは高い
中長期的な戦略を考える前提となる国際情勢認識に恐らく変化はないであろう。それは「百年、未だかってない大変局」との認識であり、中国の百年の台頭が西側主導の国際体制に大きな変化を迫っているという判断である。それは「東昇西降」、すなわち中国は興隆し、西側、つまり米国は下降するという時代認識に立つ。世界は多極化に向かい、国際協力を主導し、米国とは争わずに時間の経過を待てば良い、という戦略になる。経済重視の方針は変わらず、改革開放は重視され、現行国際秩序の護持という基本方針も堅持されるであろう。
ところが、米国が中国との競争を打ち出し秩序破壊に出ると、中国に自己保存本能が働き、安全を重視し、対外依存度を引き下げ、戦略物資を確保し、場合によっては武器としてそれを使うようになった。結果として中国自身、世界経済を分断し、パワー・ポリティックス(力の政治)を助長し、現行国際秩序を動揺させてしまっている。つまり自国の短期的利益を最優先させた結果、長期的利益を損なっているのだ。中国は、現行国際秩序を護持するために何をするかを決めなければならない。ここで問題になってくるのが、これまでの自国のための貿易、投資、援助に限った関与から、世界のために外交的、軍事的な関与の拡大に向かうのかどうかだ。
客観的に見て、こうした方針転換へのハードルは高い。外交的、軍事的関与の強化は、膨大な資金的、人的リソースを必要とするし、世界戦略の大幅修正なしには実行できないからだ。外交的関与の増大を裏付ける人材養成と経験蓄積への資金的支援だけでもハードルは高いが、軍事力を使った対外関与のハードルはそれ以上に極めて高い。米国のようなグローバルに展開できる戦力とネットワークを作り上げるには気の遠くなるような資金と労力を要するからである。しかも米国の軍事力を使った国策遂行に対し、中国は国際法違反であり現行国際秩序を破壊するものであると厳しく批判してきたし、そう党員と国民を教育してきた。現在の米国のように振る舞う大義名分上のハードルも高いのだ。
従って、中国が模索すべきは現行国際秩序を護持する方法論となろう。現行国際秩序は未完成であり、欠点も多い。それを改善し補強するには、中国にとって日欧との協力は不可欠である。これが不可能な場合、中国は一帯一路等の独自の構想やグローバルサウスとの関係強化にますます傾斜し、地域的分断が進む可能性がある。
現行国際秩序の護持は日本の、そして欧州の基本国策でもある。ここを意識した対中関係の構築は、今後、ますます重要となるであろう。中国のナショナリズムは相当に国粋化しており、国際協調路線は恒常的な圧力に曝されていることを意識した日欧の対応が求められる。
軍事安全保障に求められる“政治的”な議論
米軍のハイテク電撃戦は中国指導部を恐怖に陥れたといった解説もあるが、より重要なことは中国の軍事戦略の修正である。中国は第1次湾岸戦争、第2次湾岸戦争(イラク戦争)から多くを学び、戦略と戦術を修正してきた。今回、米軍の水準を見せつけたという面もあるが、米側が手の内を曝したということでもある。それを吸収して、とりわけ東アジアにおいていかなる軍事的修正をするかが、われわれの最大の関心事項となる。これまで中国の軍事力の増強の主たる目的は米軍の台湾接近拒否であり、それを越えて何をするかの結論はまだ出していない。同時に、その中国の軍事力の急速な増強が米国を含む近隣諸国との関係を緊張させ、悪化させている。
中国が最終的にどういう結論を出すかは、米国及び、われわれが想像する以上に、日本の軍事面での対応にも影響されると見ておくべきである。日本は中国、ロシア、北朝鮮のみならず、米国の動きも踏まえて防衛力の増強に踏み切ったが、それがまた中国の動きを呼び込む相互作用のサイクルに入っている。軍拡競争に入ったといっても良い。第1次トランプ政権の対中強硬姿勢は、2022年の党大会に向けて党中央への求心力を高める上で「神風」の役割を果たした。高市政権に対する「新しい軍国主義」批判が、来年の党大会に向けて同じような役割を果たすことがないように願うばかりである。日中、そして日米中の間で軍事安全保障の問題を“政治的”に真剣に議論すべき時代になった。中国との対話の再開は待ったなしの状況にある。
1 拙著『強硬外交を反省する中国』(PHP新書、2017年)第八章 「習近平「新」外交と北朝鮮」を参照願いたい。
2 確かに2008年以降、自己主張の強い強硬な対外姿勢に転じた。2012年のいわゆる「尖閣国有化問題」を契機に、中国は実力による現状変更に踏み切り、2013年には南シナ海の環礁を埋め立て人工島の建設を始めた。今日の通説では実力による現状変更は国際法違反である。しかし中国は、自国が領土と主張する島嶼の権益を回復しているつもりであり、現行国際秩序に正面から挑戦しているという認識はない。
3 3月31日、中国・パキスタンは湾岸と中東の平和回復のための5項目の提案を発表。内容は、敵対行動の即時停止、和平会談の早期開始、非軍事目標の安全の確保、航路の安全確保、国連憲章の優先的地位の確保。4月14日、習近平主席はアラブ首長国連邦アブダビのハリド皇太子と会談した際、従来の路線を確認。すなわち中東の平和と安定を護持し推進するためには、平和共存と国家主権を堅持し、国際法治を堅持し、中東の平和と安全を同時に達成すべきであるとの見解を述べた。ここにいう国際法治とは、国連を中心とする国際システムと国際法を基礎とする国際秩序、そして国連憲章の趣旨と原則を基礎とする国際関係の基本ルールを護持することであり、「ジャングルの掟」に回帰してはならない、と述べている。
4 昨年1月の中央紀律検査委員会全体会議において、習近平主席は「党が直面する最大の脅威は腐敗だ」と述べ、最大の関心が党の革命、すなわち党の永続的な組織改革にあることを示している。そうすることが長期的な「安定」のために不可欠だというロジックであろうが、この習近平路線の持つ政治・イデオロギー重視、経済軽視の体質が党内議論を誘発し続けており、決着は付いていない。党内の多数は「安定」重視、経済重視と見て良い。
5 東アジアにおける米国の抑止力の低下が中国の台湾攻撃の引き金となるというロジックに従えば、今回は好機だということになる。しかし中国にとり台湾問題は内政問題であり内政のロジックに従う。中国のネチズンも台湾攻撃で盛り上がっているが、当局は冷静であり、むしろ平和攻勢を強めている。これが党の方針であり、現下の対台湾戦略である。