高市早苗首相は、11月7日、国会において台湾有事の際の日本の軍事的な関わりを具体的に説明した。これに対し中国側は厳しく反応した。13日、外交部の孫衛東副部長が金杉憲治駐中国大使を招致し、高市首相発言が「台湾海峡の問題に武力介入する可能性をほのめかした」と批判し、厳重に抗議するとともに発言の撤回を求めた。14日、呉江浩駐日大使は船越健裕外務次官に対し「中国のレッドラインを越え、武力による威嚇を行った」と抗議し、「中国の内政に干渉し、…『1つの中国の原則』1と4つの政治文書2の精神に違反し、日中関係の政治的基礎を破壊した」と批判した。何故こういう反応になるのか不思議に思われる向きも多いであろう。歴史をひもときながら解説してみたい。
「1つの中国の原則」と激しくぶつかる台湾の安全問題
1つは、日米は1970年代に中国と国交正常化をしたときから台湾問題をめぐり大きな矛盾を抱えており、それが今回、表に出たということである。
米中の雪解けは1972年2月の上海共同声明に結実した。同年9月、日中は共同声明を発出し、国交正常化を実現した。「1つの中国の原則」の受諾が、中国側の国交正常化の大前提であり、米国は、それを「acknowledge(認識)」3し、日本は「十分理解し尊重」4した。日米は、この間接的表現により、中国の建前を損なわない範囲で台湾との関係を維持することができると解釈した。日米と中国との間の解釈ないし認識の差はかなりある。それぞれの地歩を固めるために個々の案件ごとに厳しい交渉が積み重ねられ、一定のルールが形成された。だが、ルールそのものが各国の内外情勢の変化によって微妙に変わってくる。現在でも日米は台湾がらみの問題で中国ともめ続けている。
特に「1つの中国の原則」と激しくぶつかるのが台湾の安全問題であり、それ故に米中の国交正常化は1979年まで実現できなかった。米国、そして日本も、台湾海峡の平和と安定および台湾問題の平和的解決が国交正常化の、ある意味での前提であった。
中国は実際に台湾を攻撃すると言ったことはないが、武力による解決の選択肢を放棄することもない。台湾の安全を守ることが米国の重要な国策であり続けている。国交正常化により台湾との相互防衛条約は破棄したが、米国議会は同時に台湾関係法5を通し、台湾に対する武器供給は続いた。これは中国の誤算であった。1982年、鄧小平は対台武器供給に焦点を当て、国交断絶を覚悟してレーガン政権と交渉し、共同声明の発出にこぎ着けた。ここで米国は、長期的に対台武器供与を停止することを視野において徐々に減らすことを約束している。この米国の立場表明は、その直前に中国が打ち出した平和的解決政策を踏まえたものとなっており、ここが変われば米国は立場を修正できる建て付けとなっている。
対台湾武器供与に象徴される台湾の安全問題は、折に触れぶつかり合い、米中関係を軋ませている。米国が台湾を守ると明確に言えば中国からすれば「1つの中国の原則」違反6であり、国交を維持できなくなる。台湾に対する武器供与を強化し、ましてや米軍が台湾に軍事協力をすれば、これも中国として座視できず、国交断絶を迫られる。「台湾有事」は「熱戦(ホット・ウォー)」だが、その前に米中の「冷戦(コールド・ウォー)」が始まりかねないのだ。それ故に米国は台湾を守るかどうかを曖昧にし、対台湾武器供与も慎重に対処してきた。第1次トランプ政権もバイデン政権も対中政策は大きく変えたが、それでもそのボトムラインはどうにか守った。
日米が「曖昧戦略」放棄なら中国は「断交」
日米安全保障条約第6条には「極東条項」があり、
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