「クルスク解放1周年」にロシアのベロウソフ国防相が訪朝(2026年4月26日~5月2日)
4月26日、「クルスク解放作戦終結1周年」に際して、海外軍事作戦戦闘偉勲記念館の竣工式が挙行された。『労働新聞』は翌27日付で大きく奉じ、記念館は「最も正義の人民、最も強いわが軍の象徴、血で結ばれて強固になる朝露関係の発展に限りない生命力を注ぐ偉大な記念碑」と位置付けられた。
金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長、趙甬元(チョ・ヨンウォン)最高人民会議常任委員長、趙春龍(チョ・チュンニョン)朝鮮労働党中央委員会軍需工業部長、努光鉄(ノ・グヮンチョル)国防相らのほか、ロシア側からヴャチェスラフ・ヴォロージン国家院(下院)議長、アンドレイ・ベロウソフ国防相らが出席した。
金正恩は演説において、「正義と尊厳のための聖戦」に参戦した烈士を追悼し、両国の軍隊が「平和と主権のために同じ塹壕で肩を組んで戦い、ファシズムの復活を防止し、覇権主義勢力の戦争野望を粉砕する上で重要な意義を持つ戦果を達成」した、とその意義を強調した。「(烈士たちは、)血を流して倒れながらも党から与えられた命令を最後まで遂行してくれという願いだけを残し、最期を遂げながらも『平壌万歳!』を叫び、祖国の繁栄だけを祈願しました」といった情緒的な描写が延々と続き、彼らの「清らかな忠誠心」「特出した英雄主義」を称えるものであった。彼らの犠牲に報いるべく豪華な記念館を竣工させることで、「愛国忠誠」の重要性を国民に再確認させるものでもある。
続いて、ヴォロージンがウラジーミル・プーチン大統領の書簡を代読した。プーチンは朝鮮人民軍の将兵が発揮した「特出した勇敢さと真の犠牲精神」に対して感謝と敬意を表明した。
同日夕刻には記念館前の広場で追悼音楽会「祖国の星たち」が開催され、金正恩も出席した。一連の行事に娘は姿を現さなかった。
同日、金正恩はベロウソフとの会談も行った。「日増しに先鋭化する国際及び地域情勢」をはじめとした相互の関心事について幅広く意見交換され、両国の政治軍事的協力をいっそう強化発展させることについて討議したという。会談は党本部の金正恩の執務室で行われ、円卓にはロシア側から4人が着席したものの、金正恩は後ろに通訳を陪席させたのみであった。
同日行われたヴォロージンとの会談でも金正恩は通訳だけを陪席させた。両国関係の全面的な拡大発展の意志が確認されたが、ベロウソフとの会談についての報道に比べるとあっさりしたものであった。
28日、金正恩が国防省中央軍楽団の創立80周年記念演奏会を鑑賞した。建国前から「時代の息吹と強兵の気概が脈打つ革命軍楽をもって党と祖国を支え、全軍を勝利へと力強く鼓舞し、英雄的朝鮮人民軍の強化発展史に誇らしい沿革を記してきた」という。金正日(キム・ジョンイル)国防委員長が掲げた「音楽政治」なる概念はいまや『労働新聞』に全く登場しなくなったが、金正恩は多くの音楽イベントに出席しており、その政治的有用性を重視していると言える。
憲法の名称から「社会主義」が消えても紙面では連呼
3月23日、最高人民会議第15期第1回会議において憲法の名称から「社会主義」が外れて「朝鮮民主主義人民共和国憲法」へと改称されたが、『労働新聞』では相変わらず「社会主義」が連呼されている。憲法改正を報じた3月24日付から4月22日付までの30日間に342件の記事が「社会主義」に触れた一方、それ以前の30日間(2月22日付~3月23日付)は305件で同水準である。そもそも最高人民会議における金正恩の施政演説は「社会主義建設の現段階で共和国政府の前に提起される課題について」と題され、末尾で「社会主義の理想を実現する」ことが訴えられるなど「社会主義」に35回も言及していた。
過去の経緯を振り返るならば、1948年9月の建国時に制定されたのは「朝鮮民主主義人民共和国憲法」であり、全面的な改正を伴いながら「朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法」に改称されたのは1972年12月である。韓国と激しい体制間競争を展開するなかで、朴正煕(パク・チョンヒ)政権が同年10月に非常戒厳令を発布して新たな憲法改正案を発表したことが背景にある。韓国の「維新憲法」を意識しながら金日成(キム・イルソン)政権が憲法の名称においても「社会主義」を前面に押し出したことを想起すれば、今回の改称は、金正恩が南北統一を捨てて韓国とは別個の国家として歩むことを鮮明にしたことが背景にあるものと考えるべきであろう。他の多くの国家の憲法名と同様に、「国家名+憲法」としたまでのことである。
