大規模弾圧が行われた1月8日~9日の喪が明ける40日後、2月17日と18日には再び大きなデモが起きる可能性が高い[アラーグチー外相と米国のスティーブ・ウィトコフ特使の写真を掲載した日刊紙「テヘラン・タイムズ」=2026年2月7日、イラン・テヘラン](C)EPA=時事
レザー・パフラヴィーの「鈍感」
イランの体制転換を求める側にとっての難題は、それを成し遂げるための道筋を描けていないことだ。1979年のイラン革命では、当時の王政が進めてきた過度な西洋的近代化に宗教勢力や共産主義勢力が異議を唱え、これらがイランの社会に適した統治のあり方について思想的な基盤を提供していた。抗議活動においても王政の打倒のみを主張するのではなく、政治活動の規制の緩和や、民主的な選挙の導入、立憲主義に基づく統治の実施が訴えられ、「0か1か」ではない政治改革の実践を要請する側面があったことが、新たな政治への展望を現実的なものにさせていた。
しかし、今のイラン社会には現体制に代わる統治構想を描ける勢力が不在である。抗議デモの一部では王政の復古が叫ばれ、米国に亡命している王政時代の最後の国王(シャー)の息子であるレザー・パフラヴィーは民衆を扇動して体制転換を呼び掛けたが、彼は大半のイラン国民にとって選択肢になっていない。旧王政は米国の傀儡としてイラン国民を弾圧した過去があることに加え、彼は反体制の在外イラン人コミュニティとも連携できておらず、イラン社会から乖離している存在である。
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