独メルツ政権が抱え込んだ「SPD左派」という「内なる火種」

執筆者:熊谷徹 2025年5月14日
タグ: ドイツ
メルツ内閣の閣僚人事には左派冷遇の傾向も[メルツ氏、首相指名選挙を前に=2025年5月6日、ドイツ・ベルリン](C)AFP=時事

 ドイツのメルツ首相が首相指名選挙の第1回投票で落選した背景には、社会民主党(SPD)左派の造反があったとの見方が有力だ。造反の起点はメルツ氏が1月に極右政党・ドイツのための選択肢(AfD)の票を借りて採択させた難民決議だが、今後の政権運営にも内なる火種として残るだろう。そしてそのSPD自体も、内部の左右対立が鮮明化している。

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 5月6日にキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が推したフリードリヒ・メルツ氏(69歳)が第1回首相選挙で落選したことは、政界に激震をもたらした。誰もこのような事態を予想していなかった。

 連邦議会での首相選挙は、通常はルーティーン、つまり形式的な手続きだ。これまで全ての首相は、1回目の投票で議席の過半数を確保した。だがメルツ氏はこのルーティーンで落選するという番狂わせに襲われた。自信家メルツ氏も、この時はさすがに心の動揺を隠せず、呆然とした表情で本会議場を去った。

 5時間後に行われた第2回投票でメルツ氏は、過半数を確保し、首相に就任した。このため大連立政権の閣僚たちは「終わり良ければすべて良し」と言って、同氏が1回目の投票で落選したことの意味を矮小化しようとしている。だがこの前代未聞の出来事が、メルツ氏の指導力と統率力、信用性に深い傷を負わせたことは間違いない。ドイツの政治史で、メルツ氏だけが2回目の投票を経なければ首相に就任できなかったという事実は消えない。ドイツは長年にわたり、欧州で最も政治的に安定した国と言われてきたが、この評価が揺らいでいる。

AfD躍進でCDU・CSUは得票率目標に届かず

 この事態をもたらしたのは、2つの日付だ。一つは2025年2月23日。この日の連邦議会選挙でCDU・CSUの得票率は目標だった30%に達せず、28.6%に留まった。前のオラフ・ショルツ政権に属していたSPD、緑の党、自由民主党(FDP)は全て得票率を前回(2021年)に比べて減らした。しかしその票の大半はCDU・CSUではなく、極右政党AfDと極左政党・左翼党(リンケ)に流れた。AfDの得票率は前回の10.4%から20.8%に倍増した。

 連邦議会選挙の結果、CDU・CSUの議席数は前の会期に比べて11議席しか増えなかった。これに対しAfDの議席数は68議席、リンケの議席数は25議席増えた。2025年~2029年の会期の議席数は630議席。このためメルツ氏は、5月6日の議会での首相選挙で半数を超える316票を取る必要があった。連立するCDU・CSUとSPDの議席数は328議席なので、メルツ氏だけではなく誰もが、彼の当選を疑わなかった。だが1回目の投票で、メルツ氏は過半数に6票足りない310票しか取れなかった。単純に計算すれば、CDU・CSUとSPDの328人の内18人の議員が、メルツ氏を選ばなかったことになる。首相選挙は秘密投票なので、誰が造反者だったかはわからない。CDU・CSUの議員たちは、自分たちの代表メルツ氏を首相に選んだに違いない。このためCDU・CSUの議員が造反した可能性は低い。疑いの目が向けられるのは、SPD左派に属する議員たちである。

AfDの票を借りた難民決議

 そこで浮上するのが、二つ目の日付2025年1月29日である。この日、メルツ氏はAfDとは政策協力を行わないという、ドイツ政界の重要なタブーを破った。

 ドイツでは2024年5月31日から2025年1月22日までに、難民が市民を無差別に殺傷する事件が4件発生し、そのたびにAfDへの支持率が増えていた。このためメルツ氏は、難民受け入れを大幅に制限するための決議を連邦議会に提案した。CDU・CSUの決議案には、次の措置が含まれていた。

1. 入国許可を持たない外国人のドイツへの入国を禁止し、国境で追い返す。その外国人が「亡命を希望する」と発言しても、入国を許さない。

2. 滞在資格がない外国人を兵営などに収容し、国外追放を加速する。

3. 国境では常に入国検査を行う。

4. 連邦政府は、滞在資格がない外国人の国外追放について、州政府を支援する。連邦警察は、出国を義務付けられた外国人について逮捕状を請求できるようにする。

5. 外国人の犯罪者や、ドイツの治安を脅かすと見られる外国人は、出国するまで、収容施設に無期限に拘束する。

 客観的に見ると、かなり強引な内容だ。たとえばドイツの基本法(憲法)は、亡命申請権を保障しており、国境で追い返すことは違法だ。ドイツも加盟しているEU(欧州連合)のシェンゲン制度によると、常時国境監視を行うことは許されない。だが難民による凶悪事件が多発していた当時、ドイツ社会では「政府は何らかの手を打たなくてはならない」という切羽詰まった雰囲気が強まっていた。

 この決議案は、それまでAfDが要求していた難民対策と酷似していた。決議なので法的拘束力はないものの、メルツ氏は「自分が首相になれば、難民規制を大幅に強化する」という意志表示を行うことで、支持者をAfDに奪われることを防ごうとしたのだ。

 この決議案の問題点は、メルツ氏がAfDの賛成票も使って、連邦議会で採択させたことだ。これがタブー破りである理由は、CDU・CSUには「連邦レベル、州レベルでAfDと連立や政策協力を行ってはならない」という内部規則があるからだ。

 メルツ氏は、「私は当初AfDの助けを借りずに、決議案を通すつもりだった。このため、SPDと緑の党に支持を求めたが、彼らは『このような難民規制措置は憲法やEU法に違反する』として協力を拒んだ。したがって私は、他のどの党が賛成してもかまわないと考えることにした。決議の内容が正しいのならば、政治的に問題のある党が賛成してもいいではないか」と説明した。メルツ氏は去年11月に、「AfDとは絶対に協力や連立を行わない」と公言していた。彼はわずか約2カ月後に、公約を破った。

メルツ氏への囂囂たる批判

 票決の結果が発表されると、AfDは、「今日は歴史的な日だ。CDU・CSUは我々の路線に近づいた。これまでタブーと見られてきた政策協力が現実のものなった」とメルツ氏の決定を、もろ手を挙げて歓迎した。AfDの幹部らは、自分たちの長年の主張が、政界で主導的な立場にある政党によって受け入れられたと考えている。

 これに対しSPDと緑の党は、「メルツ氏のAfDとの事実上の協力は、タブーを破る行為だ」と強く批判した。ベルリンやハンブルクなどでは10万人を超える市民が、メルツ氏のAfDへの「接近」に抗議するデモを行った。

 ユダヤ人の著述家ミヒェル・フリードマン氏は、「メルツ氏の決定は破局であり、容認できない」としてCDUから離党した。ホロコーストで生き残ったあるユダヤ人男性は、メルツ氏の右旋回に抗議するために、以前ドイツ政府から授与された勲章を返納した。

 アンゲラ・メルケル元首相は、2021年に辞任して以降、政局に関する発言を避けてきた。だがこの時には自粛措置を破り、「メルツ氏は、AfDと協力しないという去年11月に行った約束を守るべきだ」と異例の発言を行った。

「メルツ氏は地獄への門を開いた」

 連邦議会で最もメルツ氏を厳しく批判したのは、当時SPDの連邦議会院内総務だったロルフ・ミュッツェニヒ氏(65歳)である。彼はメルツ氏がAfDの助けを借りて連邦議会で難民決議を採択させたことについて、「この罪は、あなたに永遠にまとわりつくだろう。あなたは、地獄への門を開けたが、国民に謝罪して、この門を閉じるべきだ」と批判した。ミュッツェニヒ氏は、メルツ氏のAfDとの政策協力を、地獄に通じる門になぞらえたのだ。彼が考える地獄とは、将来CDU・CSUとAfDが連立する事態だ。過去においてCDU・CSUは、「AfDとの間には防火壁を築き、絶対に協力しない」と主張してきたが、メルツ氏はこの防火壁を事実上取り払ったと言うことができる。

 実際、最近CDU・CSUの議員の間には、AfDとの協力を容認するかのような発言が目立つ。たとえばCDU・CSUの連邦議会院内総務に就任したイェンツ・シュパーン議員は4月に、「連邦議会での委員会の人事などにおいて、AfDを他の党と同じように扱うべきだ」と述べた。つまりCDU・CSUとAfDの間の防火壁にとらわれるなというのだ。彼はSPDから猛烈な批判を受けたために、後に「AfDとの関係を正常化させる気はない」と述べ、この発言を撤回した。

SPDを分断する党内の左右対立

 ミュッツェニヒ氏は、SPDの左派議員グループ「Parlamentarische Linke(PL)」に属するベテラン議員だ。1969年に創設されたPLには、90人のSPD議員が加盟している。ミュッツェニヒ氏は、軍縮・反核活動の経験が長い親ロシア派議員で、ドイツがウクライナに武器を供与することにも反対してきた(メルツ氏は、ドイツで最も積極的にウクライナへの軍事支援の強化を求めている政治家の一人だ)。

 メルツ氏の第1回首相投票では、SPD左派に属する議員たちの一部が、メルツ氏が1月に行ったAfDとの政策協力を許すことができずに、反対票を投じた可能性がある。

 SPD左派が今回の大連立政権について抱くもう一つの不満がある。それはメルツ政権が左派勢力を冷遇していることだ。SPDには2人の共同党首がいる。その内、右派に属するラルス・クリングバイル氏(47歳)が財務大臣兼副首相に任命されたのに対し、左派に属するサスキア・エスケン氏(63歳)は閣僚のポストを与えられなかった。童顔ゆえに「テディーベア」の愛称を持つクリングバイル氏は、2029年の連邦議会選挙でSPDの首相候補になると目されている若手のホープだ。エスケン氏はPLのメンバーだが、クリングバイル氏はPLに属していない。

 クリングバイル・エスケン両共同党首は、2月23日の選挙で惨敗したことについて責任を問われた。SPDの得票率は、前回に比べて9.3ポイント少ない16.4%に落ち込んだ。これは第二次世界大戦後に同党が記録した最低の数字だ。クリングバイル・エスケン両共同党首は、ともに敗戦の責任があるわけだが、クリングバイル氏は「懲罰」を受けずに出世街道を順調に歩み、エスケン氏だけが詰め腹を切らされた。PLの一部の議員が今回の閣僚人事に不満を抱いても不思議ではない。

 さらにクリングバイル氏が、2025年までメルケル政権とショルツ政権で労働大臣を務めたフベルトゥス・ハイル氏を、閣僚リストから外したことについても、SPD左派の間で不満が出ている。ハイル氏はPLには属していないが、社会保障や労働問題に精通したベテランで、SPD議員の間で人気があった。ハイル氏は連邦議会院内総務になることを希望していたが、クリングバイル氏は、ハイル氏ではなく、個人的に親しいマティアス・ミアシュ議員をこのポストに推した。ミアシュ氏はPLに属している。このためクリングバイル氏はこの人物を院内総務にすれば、左派との関係を良好に保てると考えたのだろう。

 5月7日には連邦議会のSPD議員団が、ミアシュ氏を院内総務に選ぶかどうかについて票決を行った。その結果、ミアシュ氏を選んだ議員の比率は83.2%に留まった。これはミュッツェニヒ氏が2019年と2021年に院内総務に選ばれた際の得票率97%よりも大幅に低い。今回のミアシュ氏についての票決では、18人が反対票を投じ、18人が棄権した。18人というのは、5月6日にメルツ氏が1回目の投票で落選した際に、反対した議員の数でもある。偶然の一致かもしれないが、奇妙な符合だ。いずれにしても、SPDの中にクリングバイル氏に反対する動きが出ていることは間違いない。

SPD右派クリングバイル共同党首への「警告射撃」?

 私は、今回のメルツ落選劇は、クリングバイル氏に対するSPD左派勢力の「警告射撃」だったと考えている。彼らは「CDU・CSU は、AfDに秋波を送っている。SPDがそのような党に譲歩を重ねるのならば、我々は将来の連邦議会での票決でも反対票を投じる」と恫喝したのかもしれない。

 たとえば、将来CDU・CSU側が連邦議会で厳しい難民規制法案を可決させようとした場合、再びSPD左派が造反する可能性がある。内務大臣に就任したCSUのアレクサンダー・ドブリント氏(54歳)は、「難民のドイツへの入国を事実上ストップさせる」として、厳しい内容の難民規制法案を可決させる方針だ。SPD左派との衝突は避けられないだろう。

 メルツ氏は、今後の政策運営の中でSPD左派の動向から目を離すことはできない。彼は難民政策の厳格化によってAfDから支持者を奪うだけではなく、SPD左派の造反による大連立政権の空中分解をも防ぐという、デリケートな綱渡りを迫られることになる。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
熊谷徹(くまがいとおる) 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。
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