ROLESCast #019
知られざる未承認国家アブハジアと仮想通貨ブームの意外な関係:ジョージアとロシアの狭間で

執筆者:小泉悠
執筆者:内田州
2025年3月20日
タグ: 紛争 ロシア
エリア: ヨーロッパ
東京大学の小泉悠准教授が早稲田大学の内田州准教授を招き、ロシアの後ろ盾を利用してジョージアから分離独立を目指す「アブハジア共和国」の戦略と政情不安を考察する。「先端研創発戦略研究オープンラボ(ROLES)」の動画配信「ROLESCast」第19回(2025年1月14日収録)。

※お二人の対談内容をもとに、編集・再構成を加えてあります。

 

小泉 前回に引き続き、早稲田大学の内田州先生にジョージアについてのお話を伺います。

 ジョージア国内には二つ、ジョージア政府が管理できていない地域があります。2008年のロシアとの戦争以降、分離独立派とロシア軍によって占拠されている、南オセチア共和国とアブハジア共和国という地域です。

 背景が複雑なので日本ではあまり触れられることが少ないアブハジアですが、実は昨年から政情不安が起こっています。法的な“親国”であるジョージアの情勢とはまた別に、分離独立地域の中でも不穏な動きが高まっているのですが、その後どうなったのかもあまりよくわからない。

 内田先生、そもそもアブハジアでは何を巡って住民の抗議運動などが起きているのでしょうか。

 

内田 前提条件として、まずアブハジアと南オセチアの共通点と相違点についてお話したいと思います。

 アブハジアという地域は、紀元前にはギリシャが支配していて、7世紀ぐらいに形づくられた地域だと言われております。一方の南オセチアという区域は、スターリン時代に人工的に作られた行政単位ですので、歴史的にもずいぶんと違う。そして最も大きな違いは、アブハジアはジョージアからの独立を志向していることです。南オセチアは北オセチア共和国、つまりロシアとの併合を志向しているので、独立を達成したいアブハジアとは大きな違いがあります。

暗号試算マイニングで「無料の電力」に目をつけたロシア

内田 昨年の11月の動乱のきっかけは、当然、ロシアによるウクライナ侵攻も影響しているのですが、アブハジアが抱えている最も大きな問題は電力不足です。電力が不足する理由は、仮想通貨のマイニング(採掘)に電力を使い過ぎていることです。アブハジアは元々、エングリダムというジョージア支配地域にある水力発電所から電力を得ていたのですが、その電力はジョージア政府が無償で提供していました。アブハジアでは電力は無料だったのです。

 そのことにクレムリンが目をつけました。暗号資産のマイニングには相当な電力を使うのですが、アブハジアでやればお金がかからないということで、2018年頃にマイニングをはじめました。2018年頃から2022年頃まで、アブハジアの電力の3分の1から半分程度は仮想通貨マイニングに使用されています。さらにロシアによるウクライナ侵攻開始後は、制裁逃れのためにより多くの暗号資産をマイニングしたいロシアは、「もっと電力が必要になる」とアブハジアに通達。アブハジアはロシアからも有償で電力を輸入しないといけないことになりました。ロシアからの電力価格はどんどん高騰して、アブハジアでは何度も停電が起こっています。

 そういった形でモスクワの意向に沿って動いてきたのですが、そもそもアブハジアの人々は独立を志向していますので、「これ以上モスクワの意向に従い続けることでいいのか」と疑問視するグループがいます。加えて、アブハジアの人たちはロシアのパスポートを持っていますので、ウクライナでの戦闘に参加させられることも予想されました。実際に戦場に送られている人もいます。

 そのような背景があって、2024年11月、ロシアにアブハジア国内の不動産の所有権を認めるという法案を可決しようとした時、さすがにそれは行き過ぎだということで野党が反対し、その動乱によって大統領が辞任したという流れです。

 

小泉 独立した場合、アブハジアに産業はあるのですかと聞こうと思っていたのですが、今はロシアの息のかかった仮想通貨マイニングが一大産業になってしまっているということですね。非常に面白い話です。しかもそれが電力不足を招いていると。

 そうすると、アブハジアにとってロシアという国は、ジョージアからの独立を達成するための便利な道具でもある一方、下手をすると自分たちの国を乗っ取るかもしれない厄介な相手でもある、そういう感覚なのですかね。

 

内田 はい、現実的にはジョージアかロシアか、どちらかをパトロンとして選ばないといけない。現状はパトロンがロシアであるわけですけども、完全な独立を達成したい思いはいつまでもある。ただ、ロシアによるウクライナ侵攻以前は安全保障から社会保障まで、全てロシアがほぼ無償で提供していたものが、侵攻後はコストがかかるようになったり、自分たちが戦争に参加することになったりと、ロシアからの要求がどんどん増えてきた。そこでアブハジア側の不満が溜まっているのが現状です。

ロシアと手を切ることは現実的には不可能

小泉 アブハジアとしては、あまり良いたとえではないかもしれませんけど、ロシアという親分から要求される「みかじめ料」がどんどん上がって耐えられない。それでもジョージアと元の鞘に戻る気はないわけですよね。アブハジアが単独でやっていける見込みもなかなかない。となると、やはりアブハジアが本格的な“ロシア離れ”を起こすというよりは、「みかじめ料」をめぐる条件闘争みたいになっていくと見た方がよいですか。

 

内田 おっしゃる通りだと思います。ロシアと手を切るという選択肢は事実上ない。例えば安全保障面においても、アブハジアにはロシア軍基地とFSB(ロシア連邦保安庁)の駐屯地があり、特に黒海沿いのオチャムチレという不凍港は永久的にロシア海軍が使用できるという条約を結んでいます。今回のように、たまに少し抵抗して、クレムリンにシグナルを送るという程度のことしかできないと思います。

 2014年のソチオリンピックの時にもアブハジアで動乱がありました。ソチはアブハジアのすぐ近くですので、オリンピックに向けた建設現場でアブハジアの人たちが働けるのではないかという期待があったのに、クレムリンは国境を閉じてアブハジア人が就労できないようにしました。アブハジアの人たちは非常に不満だったわけですが、クレムリンに抗議するというよりは、「なぜアブハジアの大統領はクレムリンとうまく交渉しないんだ」という形で動乱になり、アブハジアの大統領が避難するということが起こりました。この例からもわかるように、ロシアと手を切るということは不可能だと考えています。

 

小泉 ちなみにアブハジアの内政はどういう仕組みですか。大統領がいて事実上の未承認国家として運営されていることは知られていますが、例えば選挙はちゃんと行われているのか、議会は実質的にどのぐらいの実効力を持っているのか。

 

内田 当然、民主主義国家とも独立国家とも呼べない状況でして、議会は存在しますけれども、基本的にはロシアの意向に沿う人間を代表につけて、クレムリンの言うことを聞くだけの組織です。全く国家の体をなしていないと考えていいと思います。

 

小泉 人口統計とかはあるのですか。

 

内田 人口統計は2000年代の初頭ぐらいまでのものしかなかったと思います。アブハジアの人口はそんなに変わりはないのですが、実は南オセチアではすごく人口が減っています。ロシア側の北オセチア共和国に行ってしまっている。やはりロシア側のほうが産業はありますから。私が10年前に現地に行った時も、南オセチアの街はほとんど灯がついていませんでした。灯がついているのはFSBの駐屯地とかそういうところだけで。

 

小泉 アブハジアの方は、黒海に面していますが、昔は保養所とかがあったりして観光地だったわけですよね。今も多少はそういう観光産業は残っているのですか。

 

内田 はい。先ほど申し上げた仮想通貨のマイニングを除けば、最大の産業が観光です。割と肥沃な土地で温暖な気候ですのでオレンジがとれたりします。ソチと変わらない気候風土なので、ロシア人がバカンスで遊びに来ます。

アブハジアを含むジョージアに日本人抑留者がいた可能性

小泉 言語的には、ジョージア語でもなくロシア語でもなくアブハジア語ですか。もちろん複数の言語を話す人が多いとは思いますが。

 

内田 そうですね、アブハジアは歴史的にギリシャが支配していた時期もありますし、ペルシャ系の人も入ってくるなど民族的に複雑です。言語学的にアブハジア語がどう定義されているかはわからないのですが、独自の言語があるのは事実です。ただ、おそらく一般的に話されているのはロシア語です。大臣のプレートなどを見るとやはりロシア語で書かれていることが多いです。

 

小泉 なるほど。エスニック的にも非常に複雑な背景がある地域で、今は政治的にジョージアからの分離独立状態でロシアに依存している。完全にロシアの意のままではないけど、ロシアと手を切ることもできないと。

 しかもロシアとウクライナの戦争の中で、クリミアにあったロシアの黒海艦隊はノヴォロシースクに退避していますが、もっと南の安全圏に逃れるためアブハジアのオチャムチレに新しい基地をつくるという話になっている。軍事的な影響も確実に及んできていますよね。

 

内田 その通りです。一方でジョージア側では今回の議会選挙でイラクリ・コバヒゼ首相が「2030年までに南オセチアとアブハジアを取り返す」と宣言していましたけど、その具体的な方策は特にない。アブハジアの人たちはロシアのパスポートを持っているためにクレムリンにいいように使われているとこもあって、先ほども触れたようにウクライナ侵攻に動員されたり、シリアのロシア軍基地でもけっこうな人数のアブハジア人が働いていたりします。

 

小泉 ところで、アブハジアは日本とは何か接点とかありますか。現地に住んでいる日本人がいるとか。

 

内田 いないと思います。ただ、シベリア抑留の時代、ジョージアのあたりで抑留されていた日本人もいると聞いています。今もシベリア抑留者のお骨を探しに行かれる方がいますが、私がジョージアに滞在していた当時、厚生労働省から何件か問い合わせがありました。ジョージア支配地域かアブハジアかはわかりませんけど、アブハジアにも日本人抑留者のお骨が埋まっている可能性はあると思います。

 

小泉 ジョージアで抑留された人もいたのですね。全然知りませんでした。

 ジョージア政府が管轄できていない南オセチアとアブハジアが、旧ソ連南部の地政学的な焦点になっていることがよくわかりました。その割に日本ではほとんど状況が理解されていないので、今日はとても貴重な機会になったと思います。どうもありがとうございました。

 

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
小泉悠(こいずみゆう) 東京大学先端科学技術研究センター准教授 1982年千葉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修了。民間企業勤務を経て、外務省専門分析員、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員として2009年~2011年ロシアに滞在。公益財団法人「未来工学研究所」で客員研究員を務めたのち、2019年3月から現職。専門はロシアの軍事・安全保障。主著に『軍事大国ロシア 新たな世界戦略と行動原理』(作品社)、『プーチンの国家戦略 岐路に立つ「強国」ロシア』(東京堂出版)、『「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略』(同)。ロシア専門家としてメディア出演多数。
執筆者プロフィール
内田州(うちだしゅう) 東京大学先端科学技術研究センター(グローバルセキュリティ・宗教分野)特任研究員。早稲田大学総合研究機構EU研究所研究院客員准教授、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター客員准教授、法務省出入国在留管理庁難民審査参与員を兼任。博士(国際公共政策)(大阪大学)。専門は国際政治、紛争研究、欧州・旧ソ連地域研究。在グルジア(現ジョージア)日本国大使館専門調査員、日本政府派遣 欧州安全保障協力機構/民主制度・人権事務所(OSCE/ODIHR)ジョージア大統領選挙国際監視団監視員、 ハーバード大学デイビスセンター客員フェロー、 コインブラ大学社会学研究所EUマリー・キュリー・フェロー、早稲田大学地域・地域間研究機構研究院准教授などを経て現職。主な著作に “Georgia as a Case Study of EU Influence, and How Russia Accelerated EURussianrelations.” (Rick Fawn eds., Managing Security Threats along the EU’s Eastern Flanks. Palgrave Macmillan, Springer Nature, 2019)、「文明の衝突を越えて――EUの倫理的資本主義とパブリック・リーダーシップ」(『ワセダアジアレビュー』No.24、明石書店、2022年)、「ジョージア:NATO 加盟に係るジレンマ」(広瀬佳一編『NATO(北大西洋条約機構)を知るための71章』、明石書店、2023年)、 「欧州のエネルギー安全保障:EUの戦略とラトビアの対ロシア依存問題」(中内政貴;田中慎吾編『外交・安全保障政策から読む欧州統合』、大阪大学出版会、2023年)などがある。
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