
イノベーションさえ起こせば、日本経済の課題は解決――。政府も大企業経営者もエコノミストも声を揃えてそう唱える。だが、本当にそうか。
確かにイノベーションは富を創出する。が、歴史を振り返れば、イノベーションが社会全体の豊かさにつながるのは稀だ。むしろ、富の集中と経済格差をもたらし、社会の分断を助長した。
18世紀後半に始まった産業革命も、当初100年はごく一部の人に恩恵が集中し、大多数の労働者は低賃金と劣悪な労働環境に苦しんだ。子供でも操作可能な機械の導入で、家内制手工業における熟練労働者は仕事を失い、19世紀後半まで実質賃金の低迷が続いた。
1990年代後半以降のIT革命も同様だろう。経済的恩恵は一握りの高スキル労働者と巨大テック企業などに集中し、多くの人の実質賃金は停滞している。中間的な賃金の仕事は失われ、高い賃金と低い賃金の仕事への二極化が進み、中間層は瓦解した。その結果、中道派政党は凋落し、先進各国の政治は液状化している。
イノベーションの本質は収奪的
2024年のノーベル経済学賞に選ばれたダロン・アセモグルとサイモン・ジョンソンによれば、イノベーションには包摂的なものと収奪的なものの二つがある。前者は幅広い人に恩恵をもたらす一方で、後者は限られた一部の人に恩恵が集中し、むしろ多くの人には経済的苦痛をもたらす。そして歴史上、包摂的イノベーションは、1870年代の第一黄金期と第二次世界大戦後の第二黄金期だけにおいて例外的に実現した。それはなぜか。
二人の研究から見えてくるのは、イノベーションの本質が収奪的であり、それを包摂的なものに変えるには、経済制度や社会制度が包摂的でなければならないということだ。以下、詳しく見ていこう。

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