「制度なき覇権通貨」は何をもたらすか 米国のステーブルコイン戦略とドル基軸通貨体制の行方

執筆者:河野龍太郎 2025年8月7日
エリア: グローバル
米国が推し進めるステーブルコイン戦略には“危うさ”も潜む[GENIUS法案に署名したトランプ米大統領=2025年7月18日](C)時事
GENIUS法の成立によって、米国は国を挙げてステーブルコインの普及を後押しすることになった。通貨覇権をもって多大な利益を享受しながら、その再分配と制度維持を放棄した米国は、ステーブルコインによって新たな金融秩序を築こうとしているのだろうか。しかし、その非制度的ドル、いわば「制度なき覇権通貨」が世界に拡大した先には、「グローバル公共財」としてのドルの正統性や信認が失われる危うさが潜む。

 7月18日、米国でステーブルコインの普及を目指すGENIUS法が成立した。トランプ大統領は「世界の基軸通貨としてのドルの地位を次世代にわたり確保する」と豪語する。ステーブルコインの普及は何を意味するのか。ドル単一基軸通貨体制に多大な影響を与えるというのが筆者の見立てだ。

制度的利益を享受しながら再分配を行わない米国

 7月23日に日米関税交渉が合意された。4月以降、トランプ政権は各国に対し高率の関税策を打ち出してきたが、どのようなロジックに基づくのか。早い段階で端的に説明したのが大統領経済諮問委員会のスティーブン・ミラン委員長だった。4月7日の講演で、米国が安全保障や世界貿易体制、国際金融体制などの「グローバル公共財」を供給し、国際秩序の維持に多大なコストを負っているが、各国はそれにただ乗りしているから費用を負担すべきであり、関税はその一部だと述べた。

 現実には、米国が覇権や通貨覇権から享受する利得は多大だ。問題は、それらが金融やITなどのグローバルエリートに集中し、疲弊する製造業労働者や地域経済に還元されていない点にある。本来、他国にコストを押し付ける筋の話ではない。真に問うべきは「なぜ米国は、覇権から多大な利得を得ながら、それを再分配することで制度の維持に努めないのか」である。

 覇権や通貨覇権の維持が難しくなっているのは、中国やグローバルサウスが台頭してきたことだけが理由ではない。米国内において、それらを支える正統性や信認が揺らいでいることが真の問題である。

 それは、ローマ帝国が滅亡した真の理由と同様だろう。帝国崩壊は、単に異民族侵入という外的な要因によるものではない。真の理由は、帝国を支える内的な制度的正統性や信認が失われたことだった。

非合理な選択の背景

 ただ、現在の米国の場合、覇権や通貨覇権から得られる利得が縮小しているわけではない。むしろグローバル金融経済の拡大によって、得られる利得が拡大しているのだから、合理的な選択は、多少の再分配を行い覇権や通貨覇権を維持することのはずだ。なぜトランプ政権は非合理に見える選択肢を提示するのか。

カテゴリ: 経済・ビジネス
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執筆者プロフィール
河野龍太郎(こうのりゅうたろう) BNPパリバ証券チーフエコノミスト。東京大学先端科学技術研究センター客員教授。1964年、愛媛県生まれ。1987年横浜国立大学経済学部卒業後、住友銀行(現・三井住友銀行)入行。大和投資顧問(現・三井住友DSアセットマネジメント)、第一生命経済研究所を経て2000年よりBNPパリバ証券。2023年より東京大学先端科学技術研究センター客員上級研究員、2025年より客員教授を兼務。日経ヴェリタス『債券・為替アナリスト エコノミスト人気調査』のエコノミスト部門で、2024年までに11回の首位獲得。著書に『成長の臨界』、『グローバルインフレーションの深層』(共に慶應義塾大学出版会)、『日本経済の死角:収奪的システムを解き明かす』(ちくま新書)など。最新刊は『世界経済の死角』(共著、幻冬舎新書)。
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