「米イラン危機」と「キューバ危機」類似点と相違点

執筆者:鈴木一人 2020年1月15日
エリア: 中東 北米 中南米
フルシチョフソ連首相がキューバからのミサイル撤去を発表したのは、1962年10月28日のこと。朝、ケネディ米大統領が教会に行く(写真)という情報を知り、これが米ソ開戦を暗示するものだと考えたのだった。のちにこの日は「黄金の日曜日」と呼ばれるようになった (C)AFP=時事

 

 2020年早々、「第3次世界大戦」になるかもしれないとの危機だった。

 周知のとおり、1月3日にイラク国内でイランの革命防衛隊クッズ部隊(コドス部隊やコッズ部隊とも呼ばれる)の司令官ガセム・ソレイマニが、イラクの親イランシーア派民兵組織「カタイブ・ヒズボラ」の指導者であるアブ・マフディ・ムハンディスと共に殺害された。それをきっかけとして、軍事的緊張関係がコントロール出来ないほどエスカレートするのではないかと懸念された。

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執筆者プロフィール
鈴木一人(すずきかずと) すずき・かずと 東京大学公共政策大学院教授 国際文化会館「地経学研究所(IOG)」所長。1970年生まれ。1995年立命館大学修士課程修了、2000年英国サセックス大学院博士課程修了。筑波大学助教授、北海道大学公共政策大学院教授を経て、2020年より現職。2013年12月から2015年7月まで国連安保理イラン制裁専門家パネルメンバーとして勤務。著書にPolicy Logics and Institutions of European Space Collaboration (Ashgate)、『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、2012年サントリー学芸賞)、編・共著に『米中の経済安全保障戦略』『バイデンのアメリカ』『ウクライナ戦争と世界のゆくえ』『ウクライナ戦争と米中対立』など多数。
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