
「根のある花」を育てるために
日本外交の「自立」、あるいは「自律」の拡大を求める声が広がっている。2025年1月のドナルド・トランプ第二次政権の誕生とともに、冷戦期に生まれたアメリカ主導の国際秩序は終焉のときを迎えた。筆者はジョセフ・バイデン政権期にすでにアメリカは自らが形成した国際秩序を維持する意図も能力も失いつつあると判断し、機会をとらえてそのように述べてきたので、そのこと自体に驚きはない。しかしながら、第二次トランプ政権が誕生したのち、わずか3カ月に満たない期間でこれが一挙に現実のものとなり、またそのような理解が共有されるに至ったという事態の急転には瞠目せざるを得ない。戦後日本外交はアメリカ主導の国際秩序の存在を前提としてきただけに、その終幕を受けて、日本が自ら主体的に行動しなければならないとの議論が広がったことは当然だろう。筆者自身も、日本が自ら新たな国際秩序の形成を主導する覚悟が必要だと繰り返し述べてきたので、これに異論はない1。
だがアメリカは消え去ったわけではない。かつてアメリカが形成した多種多様な国際制度が雲散霧消したわけでもない。アメリカが、その一挙手一投足が日本にとって大きな意味をもつ巨大な国家であるという事実も、予見しうる将来において変わらないだろう。そして何より、日本外交の根幹となってきた日米同盟は現存しており、2025年5月半ばの本稿執筆時点では、北大西洋条約機構(NATO)と比較してもはるかに安定を保っていると評価できる。
一つの体制の終焉とは容易ならざるものである。それがおよそ80年にわたって世界の半分以上を覆ってきたグローバルなシステムであるならば、なおさらだろう。アメリカ主導の国際秩序の遺産、もしくは残骸というべきものはなお世界各地に残り、ときには大きく変質しつつも、次の世界を形作る基礎となる。それは日米同盟も、またその下で同じだけの時を刻んできた戦後日本外交も例外ではない。新たな日本外交の哲学が必要とされていることは疑いないが、それは過去の蓄積を無視したものではありえない。
とするならば、戦後日本外交とはいったい何だったのか、ということを振り返ってみなければ、日本の行く末を見定めることもできないことは明らかだろう。そこで本稿では、新たな日本外交の「根」をどこに求めるべきか、その手がかりを歴史の中に探ってみたい。ごく初歩的な試みとならざるを得ないが、戦前の外交評論家・ジャーナリストとして知られる清沢洌がかつて述べたように、「外交史に関する知識」に基づかない外交政策と世論とは「根のない花」に過ぎない2。歴史の意味付けが現在の外交論を左右する、そのような時代の分水嶺に我々は立っている。
日本外交をめぐる議論と展開3
戦後日本外交にはいくつもの誤解がある。そのなかでも現在に至るまで根強いのは、日本外交の受動性を強調し、その結果としてアメリカの日本への影響力を過大評価する言説だろう。すでに学術的議論としては過去のものとなって久しいが、1980年代には、これは英語圏を中心に唱えられた外圧反応国家(reactive state)論として、戦後日本外交を説明する有力な学説でもあった。日本語圏における日本政治外交史研究もこの傾向と無縁だったとはいえない。2000年代に入るまで日本側の史料を本格的に利用することは難しく、米英の史料から間接的に日本の動向を再構成せざるを得なかったという史料的制約もあった。その結果として打ち出されたのが、たとえば、日本の歴代内閣の外交方針はアメリカへの距離感によって規定されているとする、対米協調・自立論である。

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