
トランプ政権がウクライナ向け軍事援助を一時的に停止するなど、米国がロシアに急激に接近し、欧州防衛への関与を減らす傾向が強まっている。だが欧州側の防衛支出を大幅に増やし、米国依存を減らすための動きは、ようやく緒についたばかりだ。
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トランプ政権の「欧州防衛関与レベルの引き下げ」と「ロシア接近」の動きは速い。2月12日のドナルト・トランプ大統領、ロシアのウラジーミル・プーチン両首脳の電話会談と、同日のピート・ヘグセス国防長官の、「ウクライナでの停戦監視軍には米軍は参加しない」という発言、ウクライナ停戦に関するサウジアラビアでの米ロ外相協議に関する2月17日の発表、 2月28日のホワイトハウスでのトランプ、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー両大統領の「衝突」と希少資源をめぐる交渉の決裂に続き、3月3日にトランプ氏はウクライナへの軍事援助の「一時停止」を発表した。
米ロはウクライナ和平だけではなく、経済協力についても協議するために首脳会談を計画している他、ヘグセス国防長官は、ロシアに対する能動的サイバー攻撃も停止を指示すると発表しており、両国間では雪解けが急速に進んでいる。ロシア・ウクライナ戦争の間接的な当事者である欧州諸国は、蚊帳の外に置かれたままだ。
「第二次世界大戦後、最大の地政学的変化」
欧州の論壇では、「ウクライナ戦争をめぐっては、トランプ大統領はロシア側の条件で停戦交渉をまとめようとしている」という意見が強まっている。
ドイツの歴史学者ハインリヒ・アウグスト・ヴィンクラー教授は、フンボルト大学、ベルリン自由大学などで教鞭をとった経験を持ち、ワイマール共和国などに関する多数の著書を持つ。第二次世界大戦終結から70周年にあたる2015年5月8日に連邦議会で記念講演を行うなど、ドイツ社会で最も強い影響力を持つ歴史学者の一人だ。
ヴィンクラー教授はドイツの有力紙フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)の3月4日付電子版に発表した論考の中で、現在起きている事態を「国際関係の革命」と呼び、トランプ政権の姿勢に強い警戒感を表した。教授は、「トランプ氏はロシア接近によって、世界の主要国の勢力範囲を再編しようとしている。彼はロシアを、『ディールができる相手』と見なしている。ホワイトハウスでのトランプ・ゼレンスキー両大統領の衝突と、米国のウクライナからの離反は、1945年の第二次世界大戦終結時以来、最大の地政学的変化を象徴する。国際社会へのインパクトは、1945年2月のヤルタ会談に匹敵する」と指摘した。同氏は「人権尊重や法による支配は、トランプ氏にとって何の意味も持たない。彼は第二次世界大戦後の国際的な秩序を破壊しようとしている。もしもトランプ氏がプーチン氏が望む条件でウクライナ戦争を終わらせるとしたら、それは米国がロシアによる侵略戦争を是認することになる」と警告した。
ヴィンクラー教授は、「ホワイトハウスでの米国とウクライナの衝突から、米国がウクライナに安全の保障を伴わない停戦を受諾させようとしていることが明白になった。そのような『見せかけの平和』はウクライナと欧州にとって受け入れ難い」と主張する。安全の保障とは、停戦発効後にロシアがウクライナを再攻撃するのを防ぐための約束だ。ウクライナ政府は、ロシアに対する抑止力を高めるためには、欧州諸国の軍隊を緩衝地帯に配置するなどの体制では不十分であり、米軍が参加することが不可欠だと主張してきた。
さらにヴィンクラー教授は欧州諸国の政府に対し、「トランプ政権は、北大西洋条約機構(NATO)の相互防衛義務に縛られるとはもはや考えていないだろう。欧州は、トランプ政権下の米国との関係を根本的に見直し、米国に依存せず独自の防衛力を持つという、これまで繰り返してきた決意表明を実行に移さなくてはならない」と勧告した。その言葉には、「ロシアの攻撃はウクライナに留まらず、将来NATO加盟国にも及ぶ危険がある」という危惧が含まれている。
128兆円の資金調達を目指すEU「欧州再軍備計画」
実際、欧州連合(EU)およびNATOでは、今年に入ってから、ウクライナ支援を増やし、加盟国の防衛支出を大幅に増額するための議論がようやく本格的に行われるようになった。欧州委員会のウルズラ・フォンデアライエン委員長は3月4日、「欧州再軍備計画(ReArm Europe)」を発表した。同氏はこの計画が必要となった背景として、「現在我々は最も重要で、最も脅威に満ちた時期を経験しつつある。過去数週間の加盟国首脳の会談から、我々が軍備を拡張しなくてはならないことが明らかだ。我々がいま行動しないとしたら、その結果は、極めて深刻かつ重大になる」と説明した。
フォンデアライエン委員長は、「この計画によって、軍備拡張のために8000億ユーロ(128兆円)の資金を調達することを目指す」と語った。
この計画によると、EUは経済通貨同盟の加盟国の防衛支出について、財政赤字・公共債務残高に関する規則を緩和する。EUの安定・成長協定はユーロ圏加盟国に対し、財政赤字を国内総生産(GDP)の3%未満、公共債務残高を60%未満とすることを義務付けている。EUは防衛支出を、この制約から免除する方針だ。フォンデアライエン委員長は、「たとえば加盟国が毎年防衛支出をGDPの1.5%に相当する額ずつ引き上げれば、4年間で防衛費を約6500億ユーロ(104兆円)追加支出できる」と語る。
さらにEUは加盟国の対空ミサイル、自爆ドローン、砲弾などの調達やウクライナ軍事支援のために、1500億ユーロ(24兆円)の新たな融資枠(基金)を設ける。これまで欧州では各国政府が兵器や砲弾をバラバラに調達する傾向が強かったが、フォンデアライエン委員長は加盟国に対し兵器を共同で開発したり、弾薬を共同調達したりすることによって、軍備拡張を効率的に行うよう求めた。ただし、この基金の財源は明らかにされていない。
フォンデアライエン委員長は、EU予算の防衛支出への流用も検討している。たとえばEUには、加盟国のインフラ改善や環境保護などに使われる結束基金(Cohesion Fund)という基金があるが、委員長はこの基金の一部を軍備拡張に使うことを考えている。EUによると、結束基金の2021~2027年の資金規模は、3920億ユーロ(62兆7200億円)だ。
さらに欧州委員会は、欧州投資銀行(EIB)を通じて、防衛産業に対する民間資金の融資を容易にすることも考えている。
一方欧州の防衛関係者や金融関係者の間では、1991年に創設された欧州復興開発銀行(EBRD)をモデルにして、「欧州再軍備銀行(European Rearmament Bank)」を創設するという構想も浮上している。EBRDは、中東欧諸国で社会主義政権が次々に崩壊した後、各国が自由市場経済にスムーズに移行できるように、経済インフラの整備や環境保護などのための融資を行ったり、民間銀行からの融資を仲介したりした。欧州再軍備拡張銀行が設置される場合には、EUの27カ国だけではなく、英国とノルウェーも出資者として参加する見込み。出資者が欧州諸国の政府であるため、欧州再軍備拡張銀行は最高位の信用格付けを得られると予想されており、少なくとも1000億ユーロ(16兆円)規模の融資が可能になる。
民間の銀行の中には、兵器や弾薬を主に製造する企業への融資について制限を設けている銀行もある。特にサステナビリティ(持続可能性)を重視する金融商品では、顧客の資金を兵器・弾薬の製造を主要業務としているメーカーに投資することは、ご法度である。ドローンのように、民生・軍用の両方に使える機材のメーカーは、制限の対象になっていない場合が多い。このため、今後欧州委員会と金融業界は、兵器・弾薬の製造を主要業務とするメーカーへの融資基準についても緩和することを検討するものと見られている。
フランスのエマニュエル・マクロン大統領は、軍備拡張の資金を確保するためにEU予算を2倍に増やす必要があり、そのためには2020年のコロナ禍の時と同様にユーロ共同債を発行するべきだと主張していた。ドイツのオラフ・ショルツ首相はユーロ共同債によって共同で資金調達することに反対していた。EU加盟国が国債市場で共同で借金をすると、一部の加盟国が返済できなくなった場合、ドイツなど経済規模が大きい国が肩代わりを求められることを警戒したからだ。フォンデアライエン委員長も、3月4日の演説でユーロ共同債には触れなかった。ただし2月23日のドイツ連邦議会選挙でキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が首位となり、ウクライナ支援についてショルツ氏よりもはるかに積極的なフリードリヒ・メルツ氏が次期首相になることがほぼ確実であることから、今後ユーロ共同債についての議論が再燃する可能性もある。
ドイツが「債務ブレーキ」を修正へ
現在CDU・CSUは社会民主党(SPD)と大連立政権へ向けて交渉を行っている。議論の焦点の一つは、債務ブレーキと呼ばれる、憲法に規定された財政規則だった。将来の世代が利払いに苦しむことを防ぐため、連邦政府はGDPの0.35%を超える財政赤字を禁じられている。選挙戦の期間中、SPDは債務ブレーキを修正して、ウクライナ支援や防衛支出、インフラ整備のための投資などが、債務ブレーキによる制限を受けないようにすることを提案していた。これに対しメルツ氏は債務ブレーキの修正について消極的だった。だがトランプ政権がロシア寄りの姿勢を明白にし、欧州防衛への関与を減らす兆候を見せていることから、CDU・CSUとSPDは3月4日、財政規則を修正して、防衛支出の内、GDPの1%を超える部分については、債務ブレーキの対象外とすることで合意した。
ドイツでは、ショルツ政権が2022年に「連邦軍特別予算」として1000億ユーロ(16兆円)を計上したために、2024年に防衛支出がGDPに占める比率を2.1%に引き上げることに成功し、NATOが定める目標値「2%ライン」を達成した。だがトランプ大統領は、NATO加盟国に対し、防衛支出のGDP比率を5%に引き上げることを要求している。NATOのマルク・ルッテ事務総長は今年2月、「現在策定中の兵力動員計画によると、NATO加盟国は防衛支出のGDP比率を3%に引き上げる必要がある」と語っている。CDU・CSUとSPDの合意は、こうした要請に対応する上で、重要な一歩と言える。
ただしドイツ政府はある問題に直面している。債務ブレーキを修正するには、憲法を改正しなくてはならないが、憲法改正には議員の3分の2を超える賛成票が必要だ。しかし、連邦議会選挙で極右政党・ドイツのための選択肢(AfD)と極左政党・左翼党はあわせて、議席定数の3分の1を超える議席を確保した。どちらの政党も、軍拡のために債務ブレーキを修正することに反対している。つまり次期連邦議会では、メルツ次期政権の債務ブレーキ修正のための憲法改正案が、AfDと左翼党によってブロックされる危険がある。このためCDU・CSUとSPDは、債務ブレーキの修正についての議決を、今期の連邦議会で行うことを決めた。
平和の配当を消費してきた欧州諸国の覚醒
「欧州は米国依存を減らして、独自の防衛力を強化しなくてはならない」という指摘は、1998~1999年のコソボ戦争の時にも政治学者やジャーナリストから出されていた。この戦争では、NATOによるセルビア系武装勢力などに対する空爆の90%を米空軍が実施した。さらに欧州諸国は、米軍の介入なしには、第二次世界大戦後の欧州において最も凄惨な局地戦となったボスニア内戦を停戦に持ち込むことができなかった。欧州諸国は、コソボ戦争以降も平和の配当を消費するばかりで、「米国への依存からの脱却」へ向けて具体的な作業を始めなかった。今やそのつけが欧州に回って来た。
だが「米国がロシアを後押しして、侵略戦争の被害国を窮地に追い込む」という前代未聞の事態は、欧州諸国をようやく眠りから覚醒させ、米国に頼らない独自の防衛体制の構築へ突き動かすだろう。