蔡英文総統(左から2人目)の初外遊先は、パナマだった。それから1年で断交の憂き目に (C)AFP=時事

 

 6月13日、中国とパナマは国交樹立を宣言。台湾は、世界における台湾外交の拠点とも言える中米・カリブ海地域での要の友好国との外交関係を突如断たれることになった。

 中国とパナマが国交を結ぶまで、世界で台湾を承認する国21カ国のうち、過半の12カ国が中南米に集中していた。そのうち南米はパラグアイのみ、残り11カ国は中米カリブ海地域の小国である。(現在の台湾承認国は別表参照)

 1971年の中国の国際連合加盟の後も、この地域に台湾との外交関係を維持する国が固まって残っていたのは、清朝から中華民国、台湾と外交関係が継承された歴史的経緯もさることながら、これらの国々にはまさに「アメリカの裏庭」にあって米国との貿易関係が重要であったことや、反共産主義の防波堤として独裁政権が長く続いてきたことに加え、政府公共施設の建設を援助によって肩代わりするなど、資金力をもってすれば容易に政権を取り込めたという小国ならでの事情があったからである。

「馬英九政権」発足後に休戦

 実際、中国は「1つの中国」の原則を盾に、この地域で台湾と国家承認をめぐる熾烈な援助競争を行ってきた。中米カリブの小国が、互いに援助を競わせ、時に外交関係をスイッチすることで援助を巧みに引き出してきたことも事実である。例えばグレナダは1974年の独立に際し台湾と結んだ国交を85年には中国に乗り換え、さらに89年に台湾と関係を回復し、2005年には中国と再び国交を結んでいる。また、1980年代の中米紛争期、キューバの後ろ盾で革命政権を樹立し、その革命指導者のオルテガ氏が大統領に復帰した現在のニカラグアも、左派政権でありながら、台湾との外交関係を維持しつつ、中国系資本に運河の建設を委ねてきたのはその好例であろう。

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