まことの弱法師(16)

執筆者:徳岡孝夫2017年7月23日

 日本が対米戦争の口火を切ったのは1941年12月7日(現地時間)の帝国海軍による真珠湾奇襲攻撃だった。誰でも知っている歴史上の事実である。

 だが米太平洋艦隊が壊滅させられたとの報に最も喜んだのはロンドンのウィンストン・チャーチル英首相だった。

 米国の参戦だけが大英帝国を救う唯一の道だったからである。

 ドイツの機甲師団に席巻された欧州は英国を除いてほぼ完全にヒトラーの手に落ち、救う道はただ1つ、アメリカの参戦だけだったからである。日本軍による開戦はその意味で大英帝国を救う唯一の戦略的展開だった。

 真珠湾攻撃から40年、私は現地を訪ねて目撃者をインタビューし、当時の新聞や資料を調べたが、日本の攻撃が眠っていた米国を覚醒し、世界大戦を連合国の勝利のうちに終わらせた皮肉に驚かざるを得なかった。連合軍の戦略は全てロンドンのwar room(チャーチル司令部)から出たと言っても過言ではなかった。日本海軍の奇襲によって米太平洋艦隊の主力戦艦は沈められたが、太平洋での戦争を振り返れば、戦艦という「前世紀の遺物」はほとんど役に立たなかった。ミズーリが降伏文書調印式に甲板を貸したのだけが唯一の役立ちで、海戦はほとんど航空機と空母によって行われたのである。

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