2011年の東日本大震災で陸上自衛隊は、救援物資ロジスティクスの中枢を担った (C)時事

 

 1962年、陸上自衛隊で13個師団体制が作られた頃、筆者は北海道の方面直轄戦車大隊の小隊長になった。戦車小隊には戦車が4両あり、1両に乗員が4名いるので、筆者の部下は15名であった。

乗った戦車は米国製

 部隊に配置される前に、機甲初級幹部を養成する富士学校(静岡)で習った戦車はM4中戦車とM24軽戦車で、ともに第2次大戦で活躍した米軍の古強者だったが、実部隊で使用した戦車は、大戦後に開発されたM41軽戦車であった。現今のオートマ自動車のように、ノークラッチで変速できる当時最新の優れものであった。

 しかしこの戦車はよく故障し、整備が大変であった。整備には我々戦車乗員が自ら実施する「乗員整備」と、中隊整備班または大隊整備小隊の整備員が実施する「部隊整備」というのがあった。そこまでやって出来ないものは、方面直轄の武器部隊で「野整備」を行う。それで直らないものは北海道・茨城県にある補給処に送って「補給処整備」を行い、それでも駄目な場合には製作工場に送って「工場整備」を行うという手順になっているのだが、米国製戦車を米国の工場に送ることはなかった。

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