今年3月の全国人民代表大会で、汪洋副首相(左)と話す孫政才・前重慶市党委書記 (C) AFP=時事

 

 中国共産党トップ25(政治局委員)の1人である孫政才・重慶市党委員会書記(53)が失脚した。「重大な規律違反の疑い」のためだという。その後任に据えられたのは、筆者が昨年3月の記事(2016年3月22日「炭鉱労働者が激怒した『ポスト習近平』有力候補の『失言』」)で注目した習近平側近の陳敏爾・前貴州省党委員会書記(56)だった。背後には何があったのか。

異例のスピードで出世

 孫政才は、これまで順調に出世街道を駆け上がってきた。2006年12月に温家宝首相のもとで農業部長に就任。2009年12月には46歳の若さで吉林省トップの座(党委書記)に就いた。習近平ですら省トップの座に就いたのが49歳だったことからも、スピード出世ぶりがわかろう。

 私が孫の存在を知ったのは、彼が吉林に赴任する前だった。その頃私は、作家の佐藤優氏がかつて在籍していた「外務省国際情報統括官組織(略称IAS)」というインテリジェンス機関に勤務していた。異例のスピードで昇進する孫には、機関でも注目が集まっていた。詳しいことは明らかにできないが、私も孫にまつわる情報の収集にあたっていた。なお孫は吉林在任中、林芳正参議院議員など日本の政治家とも交流している。2011年12月、林ら複数の自民党国会議員の訪中団は北京で、日中関係の大立者である唐家璇元国務委員(外交担当)や胡錦濤直系の李源潮・現国家副主席と会談。その後わざわざ吉林の省都長春に立ち寄って孫と会うという熱の入れようだった。しかし林らと孫の会談について記録した中国政府公式サイトのページは既に閲覧不能となっている。

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