先ほどサウジの紅海岸リゾート開発計画についてのメモをこの「中東通信」欄に上げたが、ジェッダ、ラービグ、ヤンブー、ワジュフ・・・といった地名に馴染みがない読者も多いかもしれない。

これらの地名を頭に入れるには、現在のヨルダン王家である、メッカの太守だったハーシム家が第1次世界大戦中に起こした「アラブの反乱」の事績を辿ると良いだろう。

ハーシム家のフセインがファイサルやアブドッラーなどの息子たちに命じ、「アラビアのロレンス」などの介在した英国の支援を受けて、オスマン帝国に対する反乱を起こした「アラブの反乱」は、その同時代に、ロレンスや欧米メディア・エンターテインメント産業による脚色を大いに加えられて様々に報じられ、1962年に映画『アラビアのロレンス』としてロマン的に再構成されもした。

映画を見れば、紅海岸沿いの都市を順に攻め上がる場面で、これらの町の名を耳にするだろう。

ロレンス自身による『知恵の七柱』、あるいはその簡略版の『砂漠の反乱』などを紐解けば、サウジ紅海岸の諸都市の位置関係と、当時の地政学的な意味づけがよりいっそう見えてくる。

ハーシム家を放逐してアラビア半島の大部分を統一したサウド家は、紅海岸ではなくアラビア半島中部のデルイーヤを故地とし近辺のリヤードを首都とした。サウジアラビアの経済は主にペルシア湾岸の石油資源から成り立っている。そこから紅海岸は長く低開発のままだったが、ファハド国王やアブドッラー国王の時代から開発が断続的に進められている。ムハンマド皇太子はこのまま国王となれば非常に長い治世が予想されるが、その間に紅海岸の開発はどこまで進むのだろうか。紅海岸をさらに北上してチラン海峡の島々を伝ってエジプトのシナイ半島につながるか、あるいはアカバ湾を北上してアカバに向かうか。歴史を遡りながら、酷暑の紅海岸の2030年とその先を遠望するのも、真夏に一興かもしれない。

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