バンドゥーラの音色にのせて(3)運命的な出会い

執筆者:カテリーナ・グジー2017年9月15日
バンドゥーラと響きあうカテリーナさんの声は、心に沁み込んで来るかのよう (筆者提供、以下同)

 

 中学校を卒業後、私は16歳で「レフゥツキー音楽学校」に進学しました。バンドゥーラの演奏技術、音楽理論を本格的に学ぶためです。

  そしてチェルノブイリ原発事故から20年目の2006年、卒業を間近に控えた私は、日本ですでにバンドゥーラ演奏家として活動していた姉と、初めて日本に来た両親も一緒に、家族4人で日本全国を公演で回りました。私と姉がバンドゥーラを演奏して歌ったあと、後半では、ステージのバックにチェルノブイリ原発事故に関係する映像を流しながら、父が通訳を交えて日本の皆さんに体験談を語るのです。初めてコンサートに同行し、客席で見ていた母が、「コンサートを開くのがこんなに大変だったなんて」と驚いていたのを覚えています。

教師からの仕打ち

2001年4月、日本を訪れた民族楽団「チェルボナ・カリーナ」。刺繍がほどこされた民族衣装が目を引く(後列左から6番目が筆者)

 同じころ、学校では私の悪い噂が立つようになっていました。「アイツはボランティアだと偽って、日本で小遣い稼ぎをしている」と言われていたのです。日本で演奏活動をしている際は、主催団体から交通費と宿泊費だけはいただいていましたが、それ以上の報酬はありません。学校を休んで行っていることも、先生方の心証を悪くしたのでしょう。近隣のヨーロッパでしたら問題にならなかったのかもしれませんが、誰でも簡単に行ける国ではない日本だからこそ、余計に怪しまれたのでしょうか。「他の学生は真面目に勉強しているのに」と、わざと単位を落とす先生もいたぐらいです。学校をやめてしまいたくて仕方ありませんでしたが、卒業までもう1年もない。このまま我慢すべきかやめてしまうべきか悩んでいると、私たちの演奏公演を主催していた団体「チェルノブイリ子ども基金」の方が、「学校の先生にも同行してもらえば、誤解も解けるのではないか」と提案してくださいました。

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