江戸幕府はなぜ不換紙幣を発行しなかったのか?

執筆者:野口悠紀雄2017年9月28日
江戸時代の古銭

 

「藩札」とは、藩内で通用する通貨として、藩が発行した紙幣のことだ。

 その多くは、幕府の正貨(金・銀・銅貨)と交換可能として、価値を保証していた。つまり、兌換紙幣だった。藩札には、交換対象となる物とその量が明示されていた。

 最初の藩札は、越前福井藩が1661年に発行した銀札であると言われる。初期には藩が藩札会所を設けて発行していたが、のちには、富裕な商人が札元となって発行を行い、その信用によって藩札が流通した場合もあった。

 幕府が容認したので、8割近い藩で発行されていた。西日本において特に盛んであり、銀との兌換券である銀札が多かった。藩を超えて流通していた場合も少なくなかった。

 藩札発行の目的は、貨幣不足を補い、通貨量の調整を行うことであった。ただし、実際には、発行益を目論み、これによって財政難の解消を試みた場合もあった。このため、兌換を巡る取り付け騒ぎや、一揆、打ちこわしも発生した。

 改易になって藩がなくなると、藩札の価値も失われるので、藩札と正貨の交換をしなければならない。赤穂事件では赤穂藩藩主である浅野家が改易になったが、大石内蔵助の指揮のもと、勘定方だった岡嶋八十右衛門が藩札の引き換えを担当した。

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