高齢者の「優しい看取り」とは何か

執筆者:医療ガバナンス学会2017年10月2日
高齢化社会の現代、本人にとっても家族にとっても避けては通れない問題(C)時事

 

筆者:帝京大学大学院公衆衛生学研究科准教授・高橋謙造

 私は帝京大学大学院公衆衛生学研究科という大学院で公衆衛生を教える立場にある。私の主な専門は、国際保健、地域保健、母子保健などだ。一方で、私は小児科の臨床医でもあり、今でも臨床の第一線に立っている。現場が分からなければ、教育をする事は出来ないからだ。途上国にも行き、地域医療の現場にも関わっている。最近、若手の臨床医や医学系学生と接する機会が増え、色々と考えさせられる事が多くなった。今、高齢化が進む日本において、地域保健医療を学生たちと一緒に考えていく上では、高齢者そして看取りを避けては通れない。

 本稿では高齢者の看取りについて、「優しい看取り」とは何かについて自らの体験を踏まえて考えたい。

「大往生したんだよ」

 私が生まれ育ったのは、福島県いわき市である。そこで、明治の初年度より今も続く旧い旅館の長男として生まれた。当時は旅館の一部「帳場」がそのまま住居でもあった。帳場は天井が高く、煤けた柱に蜘蛛の巣が張っているような棟で、藁葺き屋根だった。藁葺きの棟は、冬は寒かったが、雨が降った時には、屋根に静かにさたさたと雨の染み込む音が響いた。子どもの頃は、その雨の音を聞きながら祖母と眠った。帳場には囲炉裏があり、囲炉裏の側にはいつも祖母が座っていた事を覚えている。間取りは広く、およそ20畳の空間で家族の生活は完結していた。壁際には私の勉強机があり、祖母はいつも私の勉強する背中を眺めながら眠りについていたようだ。

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