まことの弱法師(19)

執筆者:徳岡孝夫2017年10月29日

 ジャーナリズム学部の主任教授マーフィー先生に挨拶に行った。日本の大学教授と同じような小部屋に書棚を置いた研究室だが先生は簡単な説明のあと、もっぱら日本の話をした。先日通信販売でノリタケのティーセットを買ったが実に見事な品だ。「戦後15年、日本はよく立ち直った」とベタ褒めだった。「陶器以外にももっといろんな品を造っていますがね」と言いかけて私は黙っていた。

 留学生担当の教授は「あなたの英語力なら不要だと思うが、一応初歩英会話の時間に出てもらいます」と言った。その教授が別れ際に「I will see you later」と言ったので私は思わず「何時のディナーですか?」と問いそうになった。丁寧すぎる言葉遣いをする人は日本にもアメリカにもいた。

 何より嬉しかったのはサドラー寮とジャーナリズムの教室の中間点に3階建ての中央図書館があることだった。夜11時まで開いているという。当時の日本の大学図書館は午後5時になるとドアを閉めていた。旧制三高の図書館はわりに自由だったが、京都大学の附属図書館は1回生には貸し出しをしてくれなかった。本を貸すより本の番をしているようなところがあった。シラキュースの図書館は暖房つきで午後11時まで。その上大学院生にはcarrel(キャレル=個人用閲覧席)の特権があった。自由に書庫の中を歩き回り必要な本を取って自分のキャレルに置けば、いつまでも独占できる。これは日本の大学でも採用され、私は共立女子大の書庫にキャレルを持たせてもらってドナルド・キーン氏「日本文学史」の翻訳時に大変重宝したことがある。

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