「国立銀行」による紙幣発行に頼った明治政府

執筆者:野口悠紀雄2017年11月16日
国立銀行が発行した、日本初の紙幣 (C)時事

 

 ヨーロッパにおいて金本位制が確立された頃、日本の情勢はどうだったろうか?

 明治になっても、徳川幕府が発行した金銀銅貨が流通していた。単位も両・分・朱のままだった。

 1868(明治元)年、明治政府は太政官札を発行した。

 71(明治4)年、明治政府は「新貨条例」を公布。通貨単位として「円(えん)」を制定し、1円を金1.5gと定めた。また、1円より小さな単位として、銭、厘を使い、1円=100銭、1銭=10厘と決めた。

 ここで形式的には金本位制が採用されたのだが、金準備は充分でなかった。さらに、経済基盤が弱かった日本からは、正貨である金貨の流出が続いた。そこで政府は法律を改めて暫時金銀複本位制としたが、実質的には銀本位制となった。

72(明治5)年の「国立銀行条例」に基づいて、国立銀行が開設された。これは、金貨との交換義務を持つ兌換紙幣の発行権を持つ銀行である。

 この目的は、戊辰戦争による戦費や殖産興業のために大量に乱発され価値が低下した太政官札などの政府紙幣を回収し、整理することだった。その代わりに兌換銀行券を流通させて、通貨価値を安定させようとしたのである。

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