まことの弱法師(21)

執筆者:徳岡孝夫2017年12月23日

 待ちかねた電報は来たが、うっかりして机の上のチップを配達夫に渡し忘れたので祝賀用の1ドルが浮いた。これで豪華なデザートを買おう。NYタイムズが35セントの時代、1ドルは予期しない収入だった。

 大学正門に近いレストランのオッサンは「そりゃめでたい。日本人は魚が好きだから魚で祝おう」と言って鮭のフライにタルタル・ソースを2倍付けてくれた。

 オッサンが宣伝してくれたおかげで客の中にもわざわざ席を立って「おめでとう」と握手を求める人がいた。

 アメリカ人も「男子出生」を女児の場合より明らかに差をつけて祝う。なぜだろうと私は考えた。

 彼らの多くは旧世界からアメリカに新天地を求めてきた移民の子である。彼らの祖先が新世界に来てまず必要だったのは土地を耕して食物をつくる農耕、つまり食うために働く重労働だった。その5代目か6代目の子孫と一緒に、いま私は暮らしている。女権論者には悪いが取り敢えず男手が必要だった、その名残りが今も続いていると私は勝手に推論した。

 シラキュースの人たちは意外なほど我が家の長男誕生を喜んでくれた。室友ロスはオハイオに婚約者ジョーンを残しオーディオビジュアル(つまりテレビ)のジャーナリズムを研究するためこの大学に来ている。生活費を切り詰め、余ったカネは週末ごと、婚約者への電話代に使っている。日本の20代の若者に、こういう禁欲的な節約が出来るだろうか。

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