手記には賛否両論が(襲撃された当時の『シャルリー・エブド』本社前)(C)AFP=時事

 

 年が明けて2015年1月7日、3日間の夜勤実習明けで夕方起き出したファリッド・ベニエトゥーは、フェイスブックを通じて、その日の朝に「シャルリー・エブド襲撃事件」が起きたことを知った。テレビをつけると、シェリフ・クアシの顔が映し出されていた。その驚き以上に非現実的だと思えたのは、あの内気だった兄サイード・クアシも犯行に加わっていたことだった。

手は血塗られた

 確かに自分は2004年、兄弟にジハードの理想郷を教え込んだ。ただ、10年後にそれがどんな結果を招くかは想像しなかった。自分自身は武器を手にすることなく、結果的に人を殺した。ジハード主義の理念を伝えることで、手は血塗られた。責任を感じた彼は当局に出頭し、捜査に協力した。

 ただ、影響は彼自身にも及んだ。「テロリストの師匠」としての名が知れ渡り、看護師としての就職が不可能になったのである。落ち込んだ彼は、犯罪者の更生や脱カルト活動に取り組む人類学者ドゥニア・ブザールをテレビで見かけ、連絡を取った。

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