連載小説 Δ(デルタ)(40)

執筆者:杉山隆男2018年1月20日
沖縄県・尖閣諸島の魚釣島と北小島、南小島 (C)時事

 

【前回までのあらすじ】

愛国義勇軍に乗っ取られた巡視船「うおつり」の中で、唯一自由の身である市川。彼は、手なづけた張と2人で、義勇軍退去用に使うと思われるボートを破壊することにした。「うおつり」は退去後、爆破されてしまうからだ。市川はその計画を実行に移し始めた。

 

     31(承前)

 市川と張(チャン)の2人は倉庫を出ると、左右両サイドを筋張った分厚い隔壁に覆われた通路を船尾方向に進んだ。この隔壁の向こうには甲板を突き抜けて細長い煙突がそれぞれ通っており、巡視船としては

もっとも速い、最高速力31ノット、57キロ超での航行を可能にさせる高性能ディーゼルエンジンからの用済みの排気が、ごく少量だが吐き出されている。

 廊下を突き当たりまで行った市川は、左舷側の扉のロックを音を立てないように注意深くはずした。ここは船楼の後ろ端に当たり、ゾディアックボートはこの屋根部分に設置されている。

 重たい扉を手前に引くと、強い潮の香りとともに、少しひんやりとした空気が流れこんできた。月明かりのない暗い海は海面が1枚の板のように静止して、波が舷側を叩く音もなく、嘘のように静まり返っている。かすかに床下の方から、主機関が停止する中、休まず働きつづけている「うおつり」の発電機が立てるやわらかな重低音の唸りが伝わってくるだけで、それがかえって静寂を際立たせていた。

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