南北イエメンの深い溝を物語る5枚の地図

執筆者:池内恵2018年1月30日

前のエントリでは1914年のイエメンの地図を紹介したが、その後のイエメンの南北のそれぞれの発展(および1990年代の統一と現在の分裂)について、地図で解説したウェブサイトがある。

Yemen: From the Independence Day to the Houthi Insurgency, edmaps.com

このサイトでは5枚の地図でイエメンの近代史を描いている。それぞれの地図が描く年代とその期間のイエメンの体制の状態を簡略にまとめると次のようになる。

(1)1918−1937年(オスマン帝国崩壊で北部が独立、サウジの独立で北部が縮小、南部は英国の保護領)

(2)1962−1967年(南部の独立過程)

(3)1967−1990年(南北イエメンが並立)

(4)1990−2015年(統一イエメン)

(5)2015年−(フーシー派の反乱による主要地域占領)

UAEが支援する南部独立派が、サウジが支援するハーディー政権のアデンの政府庁舎を占領した現在の状況は、(2)と(3)を見ると腑に落ちる。(1)で1918年にオスマン帝国の崩壊に伴い独立していた北部と、英国の保護領であり続けた南部の発展経路は異なる。(2)にあるように、英国のインド洋からの撤退に伴い、1959年から1962年−67年にかけて、英保護領の南部イエメンは「首長国(Emirate)」の「連邦(Federation)」として編成されていく。1959年の南部アラブ首長国連邦(The Federation of Arab Emirates of the South)が1962年に南アラビア連邦(The Federation of South Arabia)となり、1963年にこれがアデン植民地を吸収し、1967年に東部の保護領と合わせて南イエメン人民共和国として独立する。これが通称「南イエメン」である。

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