レンテンマルクの奇跡:インフレ鎮静化

執筆者:野口悠紀雄2018年2月15日
(C)AFP=時事

 

 1923年のドイツ。各党の広い支持を得たグスタフ・シュトレーゼマンが8月に首相となり、ルール地方占領への抵抗を中止し、生産を開始した。

 そして、インフレ終息をめざす。銀行家ヒャルマル・シャハトが呼び寄せられ、その役目を負った。ルドルフ・フォン・ハーフェンシュタインがライヒスバンク総裁辞任を拒否していたので、シャハトはライヒ通貨委員に任命された。この2人は近くのオフィスで仕事をしたが、口をきくことはなかった。

 新しい発券銀行として「ドイツ・レンテンバンク」(Deutsche Rentenbank)が設けられた。レンテンとは、地代、利子の意味である。

 レンテンバンクは、ドイツ国内の土地を担保として「レンテンマルク」を発行する。レンテンマルク1に対してパピエルマルク1兆の比率で交換することとされた。

 11月15日から交換が始まった。レンテンバンクが発行できる通貨量は32億レンテンマルクに制限され、国債引受高も12億レンテンマルクに制限された。

 11月20日の夜、まったく偶然に、ハーフェンシュタインが会議中に心臓発作で急死。シャハトがライヒスバンク総裁を継いだ。

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