福島と京都の間で:古里の意味を問う「自主避難者」の旅(上)
2018年2月28日
京都市伏見を再訪したのは2017年2月26日。まだ冬のさなかの東北と違い、京都は梅が咲き誇る早春の候だった。東日本大震災の被災地を毎年応援している「もっと広がれ支援の輪from伏見」という地元の労働組合、市民らのイベントに3年ぶりに講演で招かれ、「大震災から6年 何も終わらない東北の被災地」との題で現状を報告させてもらった翌日、足を運んだ場所がある。近鉄・桃山御陵駅前の踏切を渡り、にぎやかな大手筋商店街のアーケードをくぐって両替町の小路を曲がると、その店は変わらず穏やかなたたずまいを見せていた。
焦げ茶の柱や板戸、白壁、銀色に光る瓦。京都の下町らしい古い町屋作りの店には「みんなのカフェ」の表札。立て看板のメニューには、手作りのシフォンケーキ、チーズケーキにまじって、東北のにおいのする「ずんだティラミス」や「わっぱ飯ランチ」も。あるじとして切り盛りするのは、福島市から自主避難している西山祐子さん。東京電力福島第1原子力発電所事故の後、同じく京都に移った同胞の家族らを支援する社団法人「みんなの手」の代表だ。伏見にある避難先から近い町屋を自ら借りて改装し、2013年5月に店開き。「みんなの手」の拠点でもある。3年前の講演の打ち上げ会場が偶然「みんなのカフェ」という縁で西山さんに話を聞かせてもらったのが2013年10月。それ以来の再会だった。
記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。