板倉明・禮子さん夫婦が小高の街で営んだ店は原発事故後、更地に。当時の暮らしの様子を聴く西山祐子さん=2017年5月5日(筆者撮影、以下同)

 

 雲ひとつない五月晴れの空が南相馬市の上に広がった2017年5月5日の朝。福島県南相馬市原町区の相馬野馬追祭場に近い県営アパートの駐車場で、福島市からレンタカーでやってくる西山祐子さんと待ち合せた。避難から6年間の証言集を作るための聴き取り活動で、前年12月、京都から故郷の南相馬市に帰還した仲間の夫婦がこの県営住宅に暮らしているという。

「柏餅、好きかしら。いっぱい食べてね」。5階の居室で板倉禮子さん(72)は、京都から一緒に来た西山さんの娘真理子さん(現在8歳で小学3年)に勧めた。「季節のものを、おばあちゃんが用意してくれた。去年の今ごろ、おばあちゃんがいたものね」と、西山さんは京都で前年他界した母親をしのんだ。禮子さんは続けて、「ここは部屋が広く、きれいにリフォームしてあって、日当たりがいい」。居室は5階で阿武隈山地の緑を眺められ、隣に大きなスーパーがある。「買い物が便利で、病院も近い。私たちは年金生活だから家賃も安いの」。夫の明さん(75)はめまいがひどいといい、禮子さんも京都の6年間で膝を悪くし、帰還後に手術をした。「今は杖をつかずに歩ける。地元に住む妹が毎日来てくれて、世話になって病院に通っているの」。

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