泥沼化した内戦と海上封鎖で、首都サヌアでも燃料が欠乏。料理用の薪が売られている (C)EPA=時事

 

 アメリカ時間の2月26日、イエメン制裁に関する国連安全保障理事会の会合が開催され、そこではイギリスによる決議案とロシアが提出する決議案の2つが討議された。イギリス案に対してはロシアが拒否権を発動して決議が成立せず、ロシアが提出したイエメン制裁の専門家パネルの継続決議のみが、全会一致で採択されるという結果となった。日本ではイエメン内戦やイエメン制裁についての報道があまりないだけに、ここで少し解説をし、なぜ2つの決議案が出たのかを整理しておきたい。

イエメン内戦の構図

 イエメン内戦の源流は1990年、南北に分断されていたイエメンが統一したところから始まる。

 北イエメンは元々封建的な王国だったが、エジプトの汎アラブ主義の煽りを受けて、アラブ連合共和国(エジプト、シリアなどで結成)に参加し、イギリスから奪われた南イエメンとの統一を目指したが果たせなかった。

 その後国内で民主化圧力が高まり、クーデターによって王朝が崩壊してイエメン・アラブ共和国となる。しかし、旧王朝のエリートと共和国エリートの対立が激しくなり、国内の混乱を収めるべく、1978年にアリー・アブドッラー・サーレハが大統領となり、独裁政権を築くことで北イエメンは独裁国家として生き延びてきた。

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