新経済政策NEPで市場経済を容認

執筆者:野口悠紀雄2018年3月15日

 

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 1921年に、ウラジーミル・レーニンの指導とニコライ・ブハーリン(1888年~1938年)の理論指導により、部分的に市場経済を容認した経済政策、NEP(ネップ)が採用された。

 これにより食糧現物税が導入され、農民は収穫の一定割合(1922年からは一律10%)を国に納めるが、残りを自由市場で販売することが認められた。納税後の余剰穀物の処分について、当初は組織的商品交換が試みられたが、それが失敗した後は、農民の自由にゆだねられた。

 さらに貨幣が再び使われるようになった。その結果、1924年には現物税が貨幣納入に置き換えられた。

 こうして、都市と農村の間に商品経済的な結び付きが作られ、農民の物質的関心が強まった。 工場と農村の結合は「スムイチカ」と呼ばれた。

 農業がこのように変わったので、国営産業も、市場を見込んで生産し、利益を上げざるをえなくなる。そのため、商業計算制を導入した。

 小企業に私的営業の自由が与えられた。小売業やサービス業も同じ道を辿り、ほどなく非国有化された。労働者の雇用、商取引が認められた(ただし、この間にも大工業、銀行、運輸、外国貿易、土地など、「管制高地」と呼ばれた重要経済領域は、国家の掌中に握られていた)。

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