スターリンが権力を握り、農村を破壊する

執筆者:野口悠紀雄2018年3月22日
(C)AFP=時事

 

 1921年のネップ(新経済政策)の採択には、経済的な意味だけではなく、政治的な意味もあった。

 それは、ヨシフ・スターリン(1878年~1953年)が権力を握る過程の始まりなのである。ネップが自由経済の導入であり、スターリンがその後究極の計画経済を導入したことを考えると、これは誠に皮肉なことだ。

 ネップの採択前、ウラジーミル・レーニンの後継者は、衆目の認めるところ、レフ・トロツキー(1879年~1940年)であった。

 トロツキーは、10月革命における指導者の1人であり、レーニンに次ぐ中央委員会委員であった。赤軍の創設者および指揮官として、内戦における白軍の撃破や、外国の干渉の排除に大きな功績をあげていた。

 ところが、ネップ導入に先立つ1920年11月、急進的な共産主義を目指し労働者徴兵制を唱えるトロツキーの「労働の軍隊化構想」を巡って、共産党と労働組合で大論争が起こり、党内3派が争った。3派とは、(1)レーニン、グリゴリー・ジノヴィエフ、スターリンらのグループ、(2)ニコライ・ブハーリンとトロツキー、そして、(3)アレクサンドラ・コロンタイらのグループである。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。