1921年のネップ(新経済政策)の採択には、経済的な意味だけではなく、政治的な意味もあった。
それは、ヨシフ・スターリン(1878年~1953年)が権力を握る過程の始まりなのである。ネップが自由経済の導入であり、スターリンがその後究極の計画経済を導入したことを考えると、これは誠に皮肉なことだ。
ネップの採択前、ウラジーミル・レーニンの後継者は、衆目の認めるところ、レフ・トロツキー(1879年~1940年)であった。
トロツキーは、10月革命における指導者の1人であり、レーニンに次ぐ中央委員会委員であった。赤軍の創設者および指揮官として、内戦における白軍の撃破や、外国の干渉の排除に大きな功績をあげていた。
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