巨大な無秩序だったスターリンの「5カ年計画」

執筆者:野口悠紀雄2018年4月5日
(C)AFP=時事

 

 ヨシフ・スターリンは、1928年に第1次5カ年計画を開始した。これは、重工業重視の産業化政策だ。消費財生産を犠牲にして、生産財中心の生産が行われた。

 計画目標は、全工業生産高について250%増、重工業は330%増という、途方もないものであった。この計画によって、1932年までにソ連を先進資本主義諸国と並ぶ工業国にすることが目標とされた。

 これは、国家計画委員会(ゴスプラン)を中心とした計画経済だ。すべての企業が再び国有化され、企業の活動は、中央からの詳細な指令によって行われることとなった。

 第1次5カ年計画の重要事業として、「ドニェプロストロイ」と呼ばれた、ドニェプル川流域の大ダムと水力発電所の建設がある。ウラジーミル・レーニンが言った「共産主義とは、ソビエトの権力+全国土の電化である」という有名な言葉を実現するための、壮大なプロジェクトだ。

 これによって生み出された電力は、ドンバス炭鉱、およびザポロージェとドニェプロペトロフスクという新工業都市に供給された。これらの都市の工場は1934年に全面稼働した。なかでも自動車工業の発展が注目を集めた。軍事産業も重視され、航空機と戦車生産が秘密裏に進められた。

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