スターリンは、4000万人のソ連国民を殺した

執筆者:野口悠紀雄2018年4月12日
(C)AFP=時事

 

 1937年から、ヨシフ・スターリンによる大粛清が荒れ狂った。

 反対派は「見せしめ裁判」と呼ばれる公開裁判(「モスクワ裁判」)において、「反革命活動」を「自供」させられたうえで、処刑された。ニコライ・ブハーリン、グリゴリー・ジノヴィエフ、レフ・カーメネフなど、かつてレフ・トロツキーと敵対した中央委員会の多数派もその中に含まれていた。

 1937年から1938年までに、134万人以上が即決裁判で有罪にされ、68万人以上が死刑判決を受けた。そして、63万人以上が強制収容所に送られた。旧指導層は、ごく一部を除いて絶滅した。1934年の第17回党大会における1966人の代議員中1108人が逮捕され、その大半が銃殺刑となった。中央委員会メンバー139人のうち、110人が処刑されるか、自殺に追い込まれた。赤軍の5人の元帥のうち3人、そして最高軍事会議のメンバー80人のうち75人が、粛清された(「ウイキペディア」による)。

 内戦時代の英雄ミハイル・ニコラエヴィチ・トゥハチェフスキー元帥(1893年~1937年)は、「ナチスのスパイ」として逮捕された。サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』(白水社)によれば、彼は赤軍きっての有能な将軍で、貴族のようにハンサム。愚鈍な相手に媚びるような人物ではなかった。颯爽として力に満ち、カリスマ的魅力に溢れていた。1920年代においてすでに戦車と飛行機の時代が来ることを理解しており、赤軍の機械化・近代化を指導していた。スパイ容疑は、アドルフ・ヒットラーの策略によると言われる。激しい拷問を受け、スパイであることを自白させられて、銃殺された。この処刑は世界に衝撃を与えた。

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